empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

ボートマッチ

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今月は参院選がありますが、出ている政党や候補者がどんな意見を持っているのか分からないので、どこに投票すればいいのか分からない…という方もいるかもしれません。
そこでボートマッチですよ。

ボートマッチとは、自分の意見と、政党や候補者の意見がどれだけ合っているか、どの政党や候補者と親和性が高いかなどを調べられるサービスです。

こういう簡単なものから

政党との相性診断
https://seiji.yahoo.co.jp/senkyo/match/party/

こういう比較的詳細なものまであります

えらぼーと
https://vote.mainichi.jp/25san/

朝日・東大谷口研究室共同調査 - 2019参議院選挙:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/senkyo/senkyo2019/asahitodai/

とはいえ、設問によっては本当に自分の意見と合っているかどうか分からなくなることもあるかもしれません。
例えば、最初の「政党との相性診断」は改憲についても相変わらず9条についてしか述べていませんし、「外国との関係をどうするべきか?」といった問題についても、その国との間にどんな問題が起こっているのか予備知識がないと判断しづらいでしょう。
さらに、そうした諸問題について調べようとしても、ネットに溢れるデマ情報を掴まされてしまっては判断もおかしくなってしまいます。政党の公式ホームページや、信頼のおけそうなメディアによる報道などを多角的に見て決めると良いでしょう。

かつてアメリカ大統領選挙では、広告収入で金を稼ぐためだけにフェイクニュースが大量に拡散されたことがありました。
https://www.buzzfeed.com/jp/sakimizoroki/fake-news-on-sns-and-democracy?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharecopy

日本でもこれを真似てフェイクニュースが拡散されました。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/korean-news-xyz-2?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharecopy

幸いさほど収入にはならなかったそうですが、今後もこういう事態は出てくるでしょうし、デマ情報に踊らされて投票してしまっては国全体が道を誤ることになりかねません。

たまには昔の曲を

私はけっこう洋楽が好きなんですが、最近はさすがにそんなことも珍しいでしょうが、未だに一部では洋楽を聴いてる奴はかっこつけてるとか他人にマウント取ってるとか言われることがあります。

しかしそういう言いがかりは、洋楽のほうが邦楽より格上だという考え方を前提にしたもので、世迷い事であり余計なお世話だと言うべきであります。音楽には(音楽に限りませんが)別に上下関係があるわけではなく、ただそれぞれの好みの音楽があるだけです。私はただ自分が好きなものを聴くだけです。

というわけで、今回は邦楽を聴いてみようと思います。私は邦楽では90年代の曲が好きです。思い出補正も入ってるんでしょうけど、なんか雰囲気が好きなんですよね。洋楽でもその辺の曲が評価高いらしいですし、何か関係あるんでしょうか。

今日は七夕なのでこれを。冬の情景を歌ってるので季節外れではありますが、曲の内容的には七夕を思わせるものがなくもない。1998年のものです。

White Love - SPEED
この曲を聴くと、色々な思い出が去来して胸がふさがるような思いがします。
この頃は今よりリベラルな気風があって、今ほど差別主義や歴史修正主義がまかり通ることもなかった…ような気がする。消費税も5%だったし。

「反対するなら対案を出せ」という言説

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何かに反対、批判する人に対して「反対するなら対案を出せ」「批判するなら対案を出せ」などと言われることがあります。

今さらと言えば今さらですが、この主張は常に正しいわけではありません。

なぜなら「反対するなら対案を出せ」という主張が正しいのは、人々の間で「現状を変えなければならない」という前提が共有されている場合のことだからです。

ですから、例えば憲法改定について議論する際に、もし議論する人々が「今ある憲法は変えなくてはならない」という認識を共有しているのなら、ある人が改憲案を出し、別の人がそれに反対したとしたら、それに対して「反対するなら対案を出せ」と言うことは正当だということになります。

しかし、もし反対する人が「そもそも憲法を変える必要はない」と思っているなら、「反対するなら対案を出せ」と言うことは正当ではないということになります。その場合は、「変えない」ということ自体が対案だということになります。(変える必要がないという意見そのものの妥当性はさておき)
改憲の議論においては、こうした事態がしばしば見られるように思います。


一方で、例えば消費税増税に反対する政党が、賛成する政党に「反対するなら対案を出せ」と言われ、これに応えて「消費税を上げる代わりに大企業と富裕層に課税すればいい」と主張するのは、「今のままでは社会保障などの財源が足りなくなるので、どこかで税収をまかなわなくてはならない」という前提がこうした諸政党の間で共有されているからです。
この場合は「対案を出せ」という主張も正当だということになります。


さらに言えば、対案を出すのが正当である場合でも、「その時には対案が思い付かなくても、さしあたって相手の意見には反対する」ということは別に不当とは限りません。
例えば、少ない税収で年金をまかなわなくてはならないという前提を人々が共有しているとしても、誰かが「年金が足りなくなるなら、60歳以上の高齢者の半分を殺して年齢層の割合を調整すればいい」という意見を出したとしたら、その時には有効な対案を思い付かなくても、「それはさすがに駄目だ。論外だ」と言って脚下し、それからそれ以外の別の解決策を探しても不当ではありません。

そういうわけですから、対案を出さなければ最初に提案した者の意見がそのまま通る、というわけではないということになります。