empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

人生の中の政治の位置付け


最近自覚するようになりましたが、私は「政治思想」には関心がありますが、実際に行われている政治経済にはそれほど強い関心もないし、詳しくもないです。むしろ地の性格はいわゆるノンポリ(政治に無関心な層)だとさえ思います。
これはもう、元々の生まれつきの性格がこうだからだと思います。

まぁ全く政治に無関心であってはいけないでしょうが、ノンポリにもそれなりの利点はあると思います。場合によっては、政治に深入りしないほうが良い時もあるでしょうしね。


政治はその影響力の大きさからしても、人生の中でそれなりに重要な要素ではありますが、しかし(こういう言い方は不適切かもしれませんが)、私は政教分離ということを大事にしています。

私にとって政治はあくまでも政治であって、宗教ではありません。つまり、そこに人生の究極の価値があるとか、究極の真理があるとか、心の拠り所があるとかいうものではありません。
私にとって政治はあくまでも世俗的なことであって、言ってみれば日々の仕事と同じようなものです。仕事はそれ自体に価値があるというわけではないですが、生活の必要のためには働かなくてはならないのでやっている、そういうものです。もちろん、世の中には仕事にもっと深い価値を見い出せる人もいますし、それは否定しませんが。(仕事と政治には他にも性格の違いがありますが、それは措く)

そんなわけですから、私にとって政治はそれなりに重要ではありますが、しかし何よりも重要というわけではなく、二番手三番手くらいに来るものです。
政治に関心があるのはいいことでしょうが、あまり宗教的なレベルまで入れ込んでしまうとそれはそれで別の問題を引き起こすと思うので、やはりそこは線引きしたほうが良いと思いますね。

いやむしろ、自分にとって政治とは、本当は関わりたくないけど、降りかかってくるので払わなければならない火の粉のような存在だと言ってもいいくらいです。
立憲民主党の枝野氏も言ってましたが、「政治に無関心であることはできても、無関係であることはできない」というわけで、良くも悪くも政治は私達の生活に関わってくるものですからね。


以前テレビで、選挙に行かずにパンケーキを食べに行ってた人が、「(選挙より)パンケーキのほうが大事」と言ってたのが物議をかもしてましたが、思うにそれも発想自体はそう間違ってないでしょう。私だって選挙に行かなくてすむならパンケーキ食べていたいですし。

ただ、そうやって安心してパンケーキを食べられる日常を守るためには、政治に関わらざるを得ないということです。

例えばシリアやイエメンのように内戦が起こっている国では、人々は安心してパンケーキも食べられないでしょうし、北朝鮮や中国(特にその一部の地域)のように自由のない環境でも、やはりそうでしょう。
つまり、政治情勢次第では、安心してパンケーキを食べられるような普通の日常も簡単に壊されてしまうわけです。そしてその日常は二度と戻らないかもしれません。

だから私も、面倒でも政治に関わっているわけです。