empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

権力について

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権力というものは一つの「力」ではありますが、それは個人に宿るものではなく、集団に宿るものであり、人々の協力によって成り立つものだと思うんですよね。

というのは、例えば一人で国内の一切を取り仕切るような独裁者がいたとしても、彼がそうできるのは、その独裁者が一人で他の全ての人と闘っても勝てるほど強いからではなく、他の人々が彼に従っているからこそなのであって、極端な話、彼の配下の軍や政府高官たちが一斉に彼に反旗をひるがえせば、とたんに彼はただの人になって失脚してしまうわけです。

だからこそ、独裁者は個人的に親しい者たちで身内を固めたり、親衛隊を作ったり、配下の者たちが団結しないように分断統治を図ったりするのでしょう。

逆に言えば、いかな独裁者と言えども、本当に独りだけで統治するのではなく、やはり何らかの理由で彼に従う者たちがいるからこそ、彼は独裁者でいることができるというわけです。ヒトラーも大衆を味方につけていましたし、スターリン毛沢東もそうでしょう。ですから、独裁者と呼ばれる者について、「彼は誰々の支持を受けて統治しているのだから独裁者ではない」と言えるとは限らないわけです。

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また逆に言えば、ある国の人々が皆で「理不尽な命令には従わない」「一方的な支配は受け入れない」という意思を持ちそれを行動に表すなら、その国は独裁体制に落ち込まずに済むでしょう。それは一種の「反骨精神」です。

しかし、こうした精神を一部の者だけが持っていても、軍や政府高官のほうが独裁体制になずんでいれば、やはりそれだけでは自由を守ることは難しいでしょう。何らかの利益や損害に誘導されて独裁の片棒を自ら担いに行く、そうした者たちが独裁体制を作り上げていくわけです。
そうした者たちは個人的な利害に動かされてそうするので、ある意味個人の自由を最大限に発揮しているのですが、それが独裁を作り上げるのは、いわゆる「自由な民主主義社会から独裁体制が生まれてくる」と言うのと同じことです。
そうした個人的な利害に動かされずに「公益」のために働く者が、逆に自由で平等で公正な社会を作り上げることになるでしょう。