empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

なぜ政治の話題は避けられるか

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日本は政治に関心のない人が多いと云われることがあります。たぶん政治に無関心なのは日本人だけではないでしょうが、比較的そういう傾向はあると思います。投票率も低いですし。
また無関心というだけでなく、政治の話は意識的に「避けられる」傾向もあると思います。政治の話はタブー、というわけです。私自身、普段はリアルで政治の話なんてできないですし。

で、こういうタブーがあるのは何故なのかと考えてみると、それには色々考えられますが、大きな理由の一つに、「争い事やトラブルに巻き込まれないため」というのがあると思います。

これは歴史上、また今、日本を含めた世界各地で起こっていることを考えても納得できることですが、政治的な立場の違いは時には激しい対立を引き起こし、暴動や内戦を引き起こし、あるいはマイノリティーへの一方的な迫害などを引き起こすことがあります。

またインターネット上で政治について語っている場所を見たことのある人なら多分わかると思いますが、ネット上でも政治について語りだすとすぐに激しい対立が呼び起こされ、罵倒や中傷が飛び交い、他人からバカにされ、人間関係が壊れ、時には激しい敵意と憎悪が呼び起こされることもあります。

そうしてみれば、人々が政治に関わることを避けるのもある意味当然なわけで、争い事やトラブルに巻き込まれず平和に生きていたいなら、政治に関わらないほうが良いからです。少なくとも一時的には。

例えて言えば、もし私が紛争地帯に暮らしていて、争い合う武装勢力の構成員たちが私に対して「お前はどっちの側に付くんだ!?どっちの味方だ!?答えろ!!」と迫ってきたら、本心はどうであれ、「私はどっち側でもありません。私は政治に関心なんてありません。あなたたちの争いには無関係です!」と言うでしょう。その争いに巻き込まれないために。言ってみれば日本の状況も、ややそれと似ているように思います。

要するに、「政治には関わらない」というのは、この社会で平穏に生きていくための「処世術」の一つになっていると思われます。


とはいえ、自分から政治に関わるのを避ければ一時的には平穏に過ごせるとしても、政治のほうは嫌でも私達の人生に関わってくるものです。
現に私達は法で定められた税金を払わなければなりませんし、刑法が変わればその法律に従って取り締まられますし、もし将来戦争が起これば嫌でもそれに巻き込まれることになります。
立憲の枝野氏も言ってましたが、「政治に無関心であることはできても、無関係であることはできない」というわけです。


しかし、大多数の人が政治に関わろうとしなければ、政治に積極的に関わる一部の人間の意向だけで政治が動かされることになりますし、そうなれば、その人達が放っておいても私達の利益に配慮してくれるなどとは考え難いことです。

そんなわけで、健全な民主主義のためには一般市民の政治参加が欠かせないわけですが、では政治に関わるハードルを低くするにはどうすればいいかと言えば、上に述べたことを考えれば、「政治に関わっても争い事やトラブルに巻き込まれないで済む」ということが必要だと思います。

元々、というか本来は、人々の政治的な立場が違っても、それだけでは攻撃されず、逮捕されたり処刑されたりはしない、ということが「政治的な自由」であるはずですが、近年ではあからさまに、マイノリティーを「殺せ」とか「強制送還しろ」とか主張する集団もいますし、かつては左翼過激派によるテロ事件や、右翼によるクーデター事件などもありましたし、政治的な立場の違いが身の危険に直接つながるということは歴史上往々にしてあります。
また物理的な危険がなくても、社会的に孤立するとか人間関係が壊れるとかいう危険もあります。

ですから、こうした危険を取り除いて、政治的な立場が違っても安全が保証される、ということが必要であり、またそれが本来は、自由な社会の規範でもあると思います。
もちろん不当な差別とかフェイクニュース(偽ニュース)を流すこととかは別ですが(というのも、これらは政治的な問題というよりはむしろ道徳的な問題だと思われるものですから)、そこまでいかなければ、意見には多様性があっていいわけで、政治的な立場とか意見の違いについて、寛容であることが求められると思います。

また、ある人が政治については初心者で、その内容に詳しくなくて、詳しい人からすれば「無知」とも思える意見を言ったとしても、それをあまり攻撃したりバカにしたりしないということも必要だと思います。
どんな分野でもそうですが、誰でも初めは「初心者」なわけですし、政治に関わらないことが処世術となっている社会にあっては尚更そういう「初心者」が多いでしょう。しかし、そこで新参者に対して古参者が攻撃したりバカにしたりしては、新規の参加者は誰も寄り付かなくなってしまうでしょう。政治は公共のものごとなわけですから、広く市民に開かれているべきだと思います。もちろん、誰でも気軽にそれを動かしていいというわけでもないのですが。(そうすれば重大な事態を引き起こしかねないものですし)
私自身、実際の政治についてはほぼほぼ初心者なようなものですから、特にそう思います。

さらに言えば、本当に政治に無関心というわけではなくて、政治のことを大事に考えているからこそ軽々しくは話さないという人もいるでしょう。そういうことへの配慮も必要かと思います。



そんなわけで、政治に関わるトラブルを減らすことは必要だと思いますが、政治に関係するトラブルを「常に完全に避ける」ということは現実的には多分不可能なことでもあって、時にはそのために闘うこともやはり必要にはなると思います。
香港の人々が今自由のために闘っていることもそうですし、かつてのアメリカの公民権運動とか、アメリカ独立戦争とかもそうであって、自分たちの権利を守るためには、時にはトラブルや争い事を引き受けるリスクを冒さなければならないこともあります。もし当時の人々がそうしていなければ、今でもアメリカ南部では人種隔離政策が取られ、アメリカも英国植民地のままだったでしょう。

つまりは、政治に関われば争い事に巻き込まれるリスクもありますが、関わらなくてもやはり別のリスクがあるわけで、それは言ってみれば、この世に生きていること自体がすでにリスクを負っていることだからです。この世に生きていながら、この世のどんな厄介事も負わずに済むなどということは無いわけで、そうであれば、時にはリスクを負う勇気も必要だろうと思う次第です。