empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

夏だ!鬱だ!

夏ですね。青い空に白い雲、そして鬱。これこそ夏の風物詩ですね。

定期的に鬱や病んでるアピールする人は面倒だと思われるかもしれませんが、そういう時はアピールしている当人が一番自分の状態にうんざりしていると思うので多少は大目に見てやってください。

ところで、世の中には色々な暴力がありますが、人間社会での暴力は単純な分かりやすい暴力として現れてくることは少なく、「嘘」や「騙し」に隠れてやって来ることが多いような気がします。

DV野郎は外ではいい人っぽく振る舞うとかよく聞きますし、いじめも外からはなかなか分かりにくいとか、相撲部屋で虐待されて死んだ人も「かわいがり」とか言われてましたし、駐英中国大使が中国でのウイグル人弾圧についてBBCで問われて「ウイグル人は平等に扱われている」「中国統治下でウイグルの人口は倍に増えました」「中国では、ウイグルを見るまでは中国の真の美しさは分からないと言われています」とか歯の浮くような文句で誤魔化していたのもそうですし、香港の自由と民主主義を殺す法律が「国家安全法」と呼ばれていたり、かつての日本で自由を弾圧した法律が「治安維持法」と呼ばれたように「安全」や「治安」をうたって人々の自由と安全を脅かしたり、歴史修正主義者が都合の悪い歴史を「なかったこと」にして暴力を隠蔽するのもそうでしょうね。

ですから、我々は人の言うことだけで物事を判断するのではなく、人の言うことと実際に起こっていることとを考え合わせて判断するべきだと、このように思うわけであります。昨今はフェイク(嘘)の技術も発達してきて判断が難しいところもあるようですが。

というわけで、景気づけに犬の動画でも載せておきます。


Sleepy boi

犬みたいに何も考えず眠りたい。

ゴールデンカムイの21巻を読んで自尊心について思ったこと

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最近ゴールデンカムイの21巻を読んで思ったことですが、人は自尊心が(あるいは今でいう自己肯定感か)低いと他人に利用されやすくなってしまうものだと思います。

私も多少身に覚えがありますが、自分で自分に価値を見出だせないと、自分より価値がある(と自分が思う)ものにお仕えし、その役に立ち、そのために働くことでしか自分の存在意義を見出だせなくなるので、こうして自分にその価値を与えてくれる(と思える)誰かの意図に操られることになりやすいからです。

言ってみればジョジョ5部のアバッキオのように、「巨大で絶対的な者が出す命令に従っている時だけは、何もかも忘れ安心して行動できる(兵隊は何も考えない)」という心理状態です。たぶん薬物依存とかアルコール依存とかもこういう心理状態からくるものでしょう。


昨今流行りの過剰に愛国心を強調するナショナリズムの傾向も、たぶん当初は自分に自信を取り戻す、自尊心を高めるという意図があったのだろうと思いますが、実際にはそれは依存症のように、絶対的な命令に従う、何も考えない兵隊を生み出すものとなっているような気がします。人によってはそうでもないのかもしれませんが…


個人の性格にもよるでしょうが、国や民族は確かに私達を構成する一つの要素ではありますが、本当に自分自身の本質、それによって自己肯定感を得られるというようなものでは多分ないのでしょう。
アバッキオも、絶対的な命令に従う何も考えない兵隊になろうとしていたけど、結局は自分が一番気に病んでいた自分の人生の過去の一地点へと帰ってくることになったわけですし、私達が自尊心を持てないでいるとしたら、それはその元々の原因に取り組まない限り根本的な解決にはならないのだろうと思ったりしました。

民族と民族主義

一応言っておくと、私の政治姿勢は基本的に反中国、反北朝鮮、反ロシアで、親米国、親韓国、親台湾香港ですが、それはあくまでも政治思想と体制によるものであって、民族によるものではないということは言っておくべきだと思います。

一部では異論もあるようですが、大陸中国(中華人民共和国)も、台湾香港も、基本的にはどちらも漢民族主体の国であると言っていいでしょう(少数民族もいますが)。北朝鮮と韓国も、やはりどちらも韓民族(朝鮮民族)の国であって、別に民族的には違いはありません。
ですから大事なのは民族ではなくて、政治思想と体制のほうであり、反中国ではあっても、民族的に中国人(漢民族)であることが悪いことだとは私は思いません。


もちろん台湾や韓国も色々と政治的社会的な問題を抱えてはいるでしょうが、それでもこれらの国々は日本と同じく自由主義の国々であって、人権や民主主義や法治主義政教分離を守る(というより、守ることになっている)国々だと私は見ています。一方で、中国や北朝鮮一党独裁の自由がない国々であって、これは私が肯定しない体制です。


思えば、香港が中国に返還されることが決まった時には、香港の人々の中には、同じ漢民族の国である祖国に復帰するのだからそれは喜ばしいことだと思った人々もいたであろうと思います。(当時香港に居た日本人のエッセイで、そういう人々がいたということを読んだ覚えがあります)

しかし今になってみると、結局その返還は新たな圧制の始まりだったわけで、「同じ民族」だという信頼感など、何のあてにもならない欺瞞だと言わざるを得ません。

同じ民族だという意識が無意味だとまでは言いませんが、少なくとも政治的な面で言えば、それは人々の自由や権利を保証してくれるものではないわけです。
もとより、歴史を振りかえってみればそれも明らかなことであって、歴史上、世界中で行われてきた圧制苛政は別に異民族によるものだとは限らないものです。


もっとも、「民族」自体は人々を絆で結ぶものではないにしても、「民族主義」という思想のほうは、それを共有する人々の間では、人々を結びつける絆になっているとは言えるでしょう。それは言ってみれば、共産主義共産主義者同士を結びつけ、イスラム主義がイスラム主義者同士を結びつけるようなものだからです。
とはいえ、この民族主義という思想は同じ民族だという事実(あるいは、その意識)から自然と発生してくるようなものではなく、やはりある一つのイデオロギーなのであって、その思想を同じくする人々の間でしか、十分には通用しないのだと思います。そうでなければ、世界中どこの時代や地域でも、人々はこの民族主義によって国を作り、それによって政治的な行動を起こしてきたであろうからです。しかし実際には、古代から王や皇帝は複数の民族を統治してきたし、一つの宗教が複数の民族の間で受け入れられてきた…さらに言えば、逆にこうした要素のほうが民族を形作る要因にもなってきたわけですから。