empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

ナショナリズムについて

以下は個人的な意見です。

最近とあるサイトで、中国や韓国や日本のインターネット上のコメントを見ることがありました。それを見た限りでの印象ですが、韓国のインターネット上で、政府や企業や個人を非難する時に、「親日派」という言葉が頻繁に使われているのが目につきました。

韓国の政府などが、彼らの期待に反して日本に協力的であったり、彼らが期待するほど日本に対して強気でなかったりすると、「政府は親日派だから」とか「親日派に支配されているから」とか「親日派の政府ならこうなるのも当然だ。だから日本になめられる」とか言うわけです。

私は、最初はこれの意味がわかりませんでしたが、すぐに、これは日本のインターネット上で、政府や企業などを非難する時に、「中国に媚びている」とか「韓国に媚びている」とか言われるのと同じ現象なのだと気付きました。
韓国政府が親日派だというのは、日本人からすれば奇妙なことに思えるでしょうが、韓国のインターネット上の、あたかも韓国社会は親日派によって支配されており、自分たちはそのために苦しんでいるのだと言わんばかりの言論は、日本のインターネット上で見てきた、逆パターンの同じような言論のおかげで、私には馴染み深いものだったのです。(中には冷静な意見もありますが、過激な意見に押し流されて、主流派を占められないのは、これもやはり同じ事情のようです)

こうしたインターネット上の言論を見るにつけても、私には、日中韓ナショナリストは、立場は違っていても、同じような思考パターンを持っているように思えてきました。
もっとも、ここで言う「ナショナリスト」というのは、単に愛国心を持っているというようなものではなく、特に「偏狭な」と言われるような人々です。また、こうした傾向は、ナショナリストに限らず、人が多かれ少なかれ持っているものかもしれませんが、特に彼らに顕著なように思えます。
私が見た限りで、特徴的だと思えたのは以下の点です。


・仮想敵の想定
・被害者意識が強い
ナショナリズムによる自己正当化
・批判を受け付けない
・感情的


以下、もっと詳しく述べます。

・仮想敵の想定
ナショナリストは、常に「敵」を想定しており、敵と、それに対抗する自分(達)との間で、敵味方に分かれた世界観を持っている。敵は一つでもそれより多くても構わない。
敵にはしばしばネガティブな属性が集中して着せられ(残虐、強欲、傲慢など)、同じ集団に属していれば、基本的に同一視される(○○人は皆××だ、など)

・被害者意識が強い
ナショナリストは自らを被害者だとみなす傾向が強く、敵から被害を受けてきた、今も受けている、これからも受けるだろうと思っている。そして敵から受ける被害を常に思い起こしては、怒りを新たにする。

ナショナリズムによる自己正当化
敵との絶えざる闘いの中で、自分や自分の行為は、敵に対抗するものとして正当化される。一般には受け入れられないような事でも、これによって正当化される。

・批判を受け付けない
絶えざる闘いと自己正当化の中では、批判は攻撃と見なされ、受け入れられない。批判は、しばしば敵が裏で糸を引いているものと見なされる。

・感情的
常に被害を受けているためか、ナショナリストは感情的であり、特に「怒り」や「恨み」が強い。こうした怒りはしばしば我慢の限界に達し、またその怒りは正当なものと見なされる。(中国では、こうした人々を憤青(憤激青年の略)というようですが、なかなかうまい言い方だと思いました)


以上、長々と分析しておいて何ですが、こうした傾向は東アジアだけのものでも、ナショナリストだけのものでも無いように思えます。左翼過激派なんかもそうですし、イラクとシリアの「イスラム国」は、自覚的にこうした姿勢を取っているように思えます。

多分、こうした傾向は、人が何かと闘う時に現れてくる傾向なんだろうと思います。闘う時には、ある程度はこうした姿勢が必要なのでしょう。しかし、最近は割と世界的にこうした傾向が見られるように思えます。過激なものから、さほど過激でないものまで含めて。

で、個人的な意見ですが、なぜこうしたことが起こっているのかというと、一つにはいわゆるグローバル化というものがあると思います。
昔は、比較的小さな共同体で一生を過ごし、他者との接触も少ない、という人々が多かったように思いますが、グローバル化によって世界が近くなり、多くの他者と、直接あるいは間接に(メディアなどを通じて)接触するようになりました。
で、接触が増えれば衝突も増えるわけで、グローバル化によって世界を統合しようとする働きと、分裂しようとする働きが、あたかも重力に斥力が反発するように、同時に起こっているように思えます。

グローバル化は、一面では人々の平等や公平さを想定して、人々を和合させる働きがあるように思えますが、一面では、一部の人の利益のために搾取されていると思う人々や、外から来た者達によって自分達の権利がおびやかされていると思う人々などを生み出してきたように思えます。

また、もう一つ、もっと精神的な要素をあげるなら、グローバル化によって伝統的な価値観や伝統的な共同体の立場が相対的に低下していく中で、アイデンティティーが揺らいでいる人々が、改めてそうしたものの中に、自らのアイデンティティーを見いだしているという点が(皆がそうではないにしても)あると思います。そのため、こうした共同体は、単に現実の制度であるだけでなく、あるいはそれ以上に、精神的なものとして現れてくるように思えます。
上ではナショナリズムについて否定的に書いてきましたが、こうした精神的な価値は一概に否定できないとも思います。こうしたさまざまな価値のバランスを取っていくことが大事なのでしょう。