empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

中国の歴史は何年か

最近はあまりないかもしれませんが、たまに、中国の歴史は四千年ではなく、中華人民共和国が成立してからの数十年しかない、といったことを聞きます。

この場合、問題になるのは、何をもって「国」とするのかということです。中華人民共和国自体の歴史は、確かにそれが成立してからの数十年しかないわけですが、伝統的に、中国では王朝の交代の中に歴史の連続性を見てきたので、四千年というのは、多分古代王朝の時代から数えているのでしょう。あるいは、もっと広く解釈して「文明」で考えるなら、もっと長くなるでしょう。

日本で言えば、王朝で数えるなら、神武天皇からの二千六百年とか、もっと確実なところから言えば崇神天皇から千七百年くらいということになるでしょうが、現代の日本国から数えれば七十年、縄文時代から数えれば一万年以上ということになるでしょう。
つまり、何をもって「国」とするかによって、どこから数えるかが変わってくるわけです。

とはいえ、むしろ問題なのは、なぜこのように、「国の歴史の長さ」が問題になるのか、ということのように思えます。
中国でも、かつては「疑古派」と呼ばれる人々が、殷王朝や、周王朝までも、実在しなかったのではないかと言っていたようです。そうすると、王朝の歴史としては、だいぶ短くなります。
しかし、今ではこうした主張は影をひそめて、むしろ歴史を長めに見積もろうとしているように思えます。同じような傾向は、日本でも朝鮮でも、他の国々でも見られるように思えます。

なぜこうした傾向があるのかと言えば、それは恐らく、人々が国家や民族にアイデンティティーを求める傾向があるからだと思います。それは、自らの一族や、家系にアイデンティティーを求めるのと似ています。

つまり、自らの家系が由緒正しく、歴史が長く、優れた人物を多く輩出して、優れた業績を残していれば、それだけ自らの家系は優れた家系であると見なされるわけですが、これが国家にも適用されて、自らの国家が由緒正しく、歴史が長く、優れた人物を多く輩出して、優れた業績を残しているべきだと見なされているように思われます。
国が家族や民族の延長線上にあるのだとすれば、こうした考え方はある程度自然なことだろうと思います。
とはいえ、こうした家族的なやり方しかないのだとしたら、それはやはり偏ったやり方だと思います。