empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

天皇の立場について

天皇というのは、その立場上、本人の意向とは関係なく、一方的に好意や敵意を受けやすいものだろうと思います。
世の中には、日本の主権者は天皇であり、国民主権などは臣下としておこがましい、という主張や、天皇などは日本にとって害悪でしかないのだから、すぐにでも排除されるべきだ、という主張もあるようですが、これらは共に極端な主張だろうと思います。

私としては、天皇は、絶対の存在ではないけれど、やはり尊重すべき存在、だと思っています。
というのは、天皇にまつわる神聖さを多かれ少なかれ信じている人にとっては、もちろん天皇は尊重すべき存在でしょうし、またそれらを全く信じていない場合であっても、少なくとも一人の人としては尊重されるべきだと思うからです。

それにまた、天皇は日本の伝統的な君主でもあり、現在では、国民統合の象徴、という立場ですから、その立場からしても、尊重されるべきだろうと思います。
私は、今上天皇に対しては、個人的に好感を持っていますが、これはそうした個人的な好感とは別の、立場としての尊重です。こうした敬意は、一般に、世界中で、君主やそれに類する立場の人々に対して払われているものでもあるでしょう。

とはいえ、あるいはこういう意見もあるかもしれません。
「日本の天皇は諸外国の君主とは違って、神から権威を授かっている人間なのではなく、彼自身が神である『現人神』なのだから、外国の君主と同列に語ることはできない特殊な存在だ」と。

しかし、私はこの意見は当たらないと思います。なぜなら、一つには、たとえ天皇が神の子であり、彼自身もまた神であるとしても、天皇は彼自身の権威によって君主なのではなく、やはり神からその権威を授かっているのだ、とされているからです。
すなわち、天照大神が「地上は我が子孫の治めるべき国である」と言い、高皇産霊神などの天上の諸神もそれを後押ししたことによって、天皇はその地位を得たのだとされているからです。このことは、古事記日本書紀の記述からも明らかです。

もう一つには、たとえ天皇が神の子であるとしても、日本神話において神の子だとされているのは何も天皇だけではないからです。
例えば、日本書紀では藤原氏や大伴氏や物部氏、他多数の氏族が神を祖としているとされていますし、高句麗の王も、高句麗の神話に基づいて、神の子とされています。(そもそも祖先崇拝の行われている地域では、祖先と神とは親和性があるとも言えるでしょう)また、源氏や平氏のように、皇室から分かれてきた氏族についても同じことが言えるでしょう。
要するに、人であることと、神の子であることは、別に矛盾したことではないわけです。

さらに言えば、日本書紀には、「天は万人を生み成し、人々の間に君主を立てて、その本性を全うさせる」という記述がありますから、ある意味では皆が神の子だとも言えるでしょう。(さらに言えば、この記述からは、君主の権威は何でも好き放題やれる権威なのではなく、公益のための務めと表裏一体なのだという考えも読み取れるでしょう)

こうした記述は中国の文化の影響だと思われるかもしれませんが、公式の歴史書である日本書紀にこのように書き込まれているわけですから、こうした観念は日本においてもやはり受け入れられてきたわけです。

そういうわけで、平田篤胤も、「我々(日本人)は、やはり心の底に、『日本は神国で、我々は神の子だ。外国人に負けるものか』という気持ちを持っているのであります云々」と言っています。平田篤胤は、ある意味現代の右翼の先駆けのような人物ですが、その彼にしても、何も天皇だけが特別に神の子だと見なしていたわけではないのです。

このような考えは、平家物語太平記などに、「かの神武天皇は、人王百代の祖なり…」とか、「後醍醐天皇は、人王の95代に当たっておられる…」とかの記述があることや、しばしば「王」とか「君」とかが天皇を指していることから、古典的な考えだとも言えるでしょう。もちろん、天皇を神だとしている記述もそれと共にあるわけですが。

明治以降は、王政復古が成り、天皇を中心とした国づくりが進められてきたこともあって、天皇の権威はそれ以前よりも高まったと言っていいでしょう。しかし、その中でさえ、天皇は必ずしも絶対的な崇拝の対象だったわけではありません。
というのは、明治以降の日本は国家神道の体制をとっていたわけですが、「神道は『宗教』ではないので、信教の自由とは矛盾しない」という理論で、(やや強引ではありますが)信教の自由は一応認められていたからです。


日本では、キリスト教は、戦国時代や江戸時代に厳しい迫害を受けてきたことが知られています。
では明治以降、天皇の権威が高まったことによって、キリスト教はより厳しい扱いを受けるようになったのかといえばそんなことはなく、むしろ禁教令も解かれて、より自由に振る舞えるようになったわけです。
もちろん、これは当時の世界情勢にもよるもので、天皇との関係だけによるものではないでしょうが。

確かに、明治以降も、「キリスト教徒は天皇を崇めないので日本の国体には合わない」と非難されること等はありましたが、結局キリスト教は禁止されることはなく、戦前、戦中、戦後を通して、その信仰は認められていたわけです。

もちろん、キリスト教一神教ですから、キリスト教徒は天皇を神として崇めていたわけではないはずです。しかし、少なくとも君主としての権威は認めていましたし、また、キリスト教の伝統にのっとって、天皇(あるいは、一般に為政者)に神のご加護と導きがありますように、と祈ってきたわけです。そしてまた、国のほうでも、それを認めてきたわけです。

戦後の日本のキリスト教界では、このような天皇のための祈りはあまりされなくなったようですが、これは元々キリスト教の性質がそういうものだからではなく、戦中の、「戦争協力」への反省から出てきたもののようです。そして、このような「反省」が行われてきたのは、キリスト教界に限ったことでないのは言うまでもありません。(ちなみに、正教会では現在でも「天皇と、国を司る者」のための祈りが行われているようです。他の教会でも行われているかもしれませんが、詳しくは知りません)

また、当時はごく少数ながら、日本のイスラム教徒も、この考え(神道は宗教ではないので信教の自由とは矛盾しないという理論)に沿って天皇の立場と信仰を両立させようとしていたようですし、またそれ以前、仏教が半ば日本の国教のような存在だった時代においても、仏教と天皇とは共存してきたのは言うまでもありません。日本の歴史を通して見れば、天皇の立場は柔軟なものでしたし、だからこそ長く続いてきたのだ、とも考えられるでしょう。


長々と語ってきましたが、要するに、天皇と国民との関係は、必ずしも、「現人神たる天皇と、それを崇め服従する臣下」といったような、ガチガチの国家神道的な関係である必要はない、ということです。
そして実際に、戦中でさえ、必ずしもそのような関係ではなかったわけです。

まして現在では、天皇の立場は象徴としてのそれですし、諸外国の君主と比べても、その権力はかなり制限されていると言えるでしょう。

私が思うに、天皇制の廃止を強く訴えている人々は、天皇個人に対して敵意を持っているというよりは、天皇を担ぎ出して危険なことをやらかそうとする人々のことを警戒しているのだと思います。
しかし、それが担ぎ出されることで危険な事態を招きかねないものは、何も天皇に限ったことではなく、国の中には数多くあるでしょう。「民意」だって、それを担ぎ出すことで暴政が行われることはあります。大事なのは、思慮分別を働かせて、それらの間でバランスをとることなのでしょう。

私の印象では、現在の天皇は国民の多くからそれなりに敬愛されていると思います。だからと言って、天皇の支持者は、天皇を現人神だと信じていたり、極右思想の持ち主だというわけでは必ずしもなく、むしろそういう人は少ないだろうと思います。天皇はやはり、象徴君主あるいは個人として敬愛されているのだと思います。
これは、天皇自身の人柄と地道な努力のおかげでもあるでしょうし、また国民の側に、天皇の立場に対する理解があるからでもあるでしょう。

私としては、今後とも、天皇の立場は、立憲君主制のもとでの、穏当なものであってほしいと思います。もちろん、生前退位の制度なども含めて、現在の皇室典範にも改正の余地はある、という議論はあり得るでしょうが。