empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

加害と被害を越えて

以前の記事でも書きましたが、ネット上では朝鮮(韓国と北朝鮮含む)に対する誹謗中傷が非常に多く見られます。
また朝鮮に限らず、特定の国や人種や民族、特定の政党の支持者や特定の宗教の信者を目の敵にして、まるでこの世の悪いことはみな彼らのせいであるかのようにみなすことがあるように思われます。

こうしたことが起こってくるのは、恐らくこうした人の中で、特定の人々が「悪」で「敵」だというカテゴリーに入っているからだろうと思います。それだから、まるでこの人々が悪魔ででもあるかのようにあらゆるネガティブな属性が集まっていき、悪魔的なイメージができ上がっていくのだろうと思います。こうしたことが自然に起こっているのか、意図的にそういう世界観を作り上げて、その中に安住しようとしているのかは分かりませんが。
とはいえ、このような考えはやはり偏ったものだと思われます。確かに人は状況次第で敵になったり味方になったりしますが、それは本質的なことでも必然的なことでもないからです。

例えば日本はかつてアメリカと戦争していましたが、現代では基本的に友好な関係だと言っていいでしょう。しかしそうであっても、アメリカ人の中には日本に敵意を持っている人がいるということはあり得ます。
また、今後の状況次第ではまたアメリカと戦争することもあり得ますが、たとえそうなっても、アメリカ人の中には日本に好意を持っている人がいるということはあり得ます。
また、日本人は基本的に嫌いだがあなた個人は嫌いではない、ということもあり得ますし、今は日本人を嫌っていても、途中で考えが変わって好きになるということもあり得ます。
要するに、「自分にとって敵か味方か」ということは、アメリカ人にとっては本質的なことでも必然的なことでもなく、付帯的なことでしかないわけです。その他の外国人などもだいたい同じように考えられるでしょう。というのは、彼らは「自分」に敵したり味方したりするために存在しているのではなく、彼ら自身として存在しているのであって、敵になるか味方になるかどちらでもないかは状況次第だからです。

むしろ私は、外国人のことを「彼らは人間なのだ」と考えるべきだろうと思います。つまり、彼らは良いことばかりの天使でもなければ悪いことばかりの悪魔でもなく、私と同じように良いところも悪いところもあり、私と同じように喜んだり悲しんだりする人間なのだということです。もっとも、人間だからこそ、油断できないのだとも言えるでしょうが。

話を朝鮮に戻しますと、かつて私は朝鮮についてほとんど何も知らず、ただ日本の近くにあり、かつて日本の被害を受けた国だから、そのことについて反省するべきだ、という程度の認識しか持っていませんでした。
しかしながら、このような認識しか持たない関係というのは偏った関係だろうと思います。このような考えしか持っていなければ、そのうち
「なぜ直接の加害者でない自分が過去を反省しなければならないのか」
「むしろ私のほうこそ被害者ではないか」
「そして彼らのほうこそ加害者ではないか」
「彼らは敵だ。許せない」
といった考えにもなり得るだろうと思います。
確かに、加害とか被害とかはそれはそれで大きな問題ではありますが、そのような関わりしか持たないとしたら、それは偏った関係だろうと思います。なぜなら、先に述べたように、加害被害や敵味方という関係は一時的なものであって、状況次第で変わり得るものだからです。
もしそのような、加害被害や敵味方の関係しか知らないとしたら、それはつまり、「自分にとってどのような存在か」ということしか知らないのであって、相手をそれ自身として知ってはいないのだろうと思います。

私自身の経験からいうと、私は自分で朝鮮について調べてみて、朝鮮の神話伝説について書かれた本を読み、朝鮮の神話が日本のそれとよく似た類型を持っていることを知り、(日朝だけでなく、北方遊牧民満州族の神話なども似たような類型を持っている)恐らくこれらが同じ型から派生したものであることを知り、朝鮮の歴史や文化について多少知り、また日本書紀風土記などの日本の古典を読んで、古代の日本と朝鮮が深い関わりがあったことなどを知ったことで、朝鮮について多少は、いわば「内側から」知れたように思いました。

神武天皇

高句麗東明聖王 (この2人はいずれも「初代の君主で、天神の子孫で、母親は水神の娘」とされる。また、両国は似たような「三種の神器」の神話を持っている。スキタイ族の神話も同じような型を持っている。吉田敦彦はスキタイの神話が共通の原型だろうと述べていた) 

もちろん、完璧に理解できるわけではありませんし、また一般的に言って人は他人のことを完璧に理解はできないでしょうが、少なくとも前ほど、表面的にしか知らない、ということはなくなったと思います。
また朝鮮だけでなく、他の国についても、また自国である日本についても、それを人からの又聞きではなく自分で調べてみることで、ステレオタイプなイメージではない、独自の知見が得られたように思います。

少し前、一部の人の間で韓流ドラマなどが流行ったことがありましたが、そういうのを見ていた人達も、恐らくそれによって独自に韓国についての知見を深めることになっていったのだろうと思います。韓国でも、独自に日本のアニメなんかを見ることで日本語を学んだり日本に興味を持ったりする人がいるようですが、恐らく相互理解というのはそういうところから生まれてくるのだろうと思います。(アニメで知るのはどうかとも思いますが…)

かつて日韓ワールドカップの時に、今上天皇続日本紀桓武天皇の記述を引いて、個人的に韓国とのゆかりを感じていると語ったことがあり、これに一部のいわゆる「愛国的な」人々が不満を持ったことがあるようですが、多分天皇は日本の歴史や古典に通じているからそういうことが言えたのだろうと思います。先に述べたように、日本書紀などを読んでみますと古代の朝鮮は日本と深く関わっていたことが分かりますし、宮内庁のホームページを見てみますと宮中行事で演奏される雅楽には朝鮮から伝わったものもあるようですから、ゆかりを感じるというのは単なるリップサービスにはとどまらないだろうと思います。

桓武天皇

現代の教育がどうなっているのか知りませんが、私の考えでは、日本ではもう少し外国の歴史について教えてもいいのではないかと思います。そうすれば、単に日本にとってどうなのかというだけにとどまらない外国についての理解が多少は得られるでしょうし、またそこから、日本を客観的に見ることにもつながり、かえって日本についての理解も深まるだろうからです。
「外国語を知らない者は自国語を本当に知ってはいない」という言葉を聞いたことがありますが、外国を知ることで、自国をもよく知れるのではないかと思います。それは、他人を知ることで、自分をよりよく知るのと同じようなものでしょう。