empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

天皇退位について

天皇生前退位(以下、退位)について、私は認められるべきだと思っていますが、それは主に人道的な理由からです。というのは、退位が認められない今の制度だと、今そうなっているように、普通の企業ならとっくに定年退職しているような歳の老人が自ら望んでも退職できず、自らと家族と他の人々のために後任に仕事を引き継ぎたいと思っていてもそれが許されない、ということになるからです。

ただでさえ、今の制度は天皇の人権を侵害しているという主張があるくらいですし、退位くらい自ら望んでできてもいいだろうと思います。退位が認められない今の制度は「残酷な制度」だと言った人が有識者会議の中にいましたが、私もだいたい同じように思っています。

高齢化社会にあっては天皇もまた高齢化するわけですし、そうでなくても何らかの理由で心身に支障が出るということはありえます。(ついでに言えば、このことにはちゃんと神話上の根拠もあります。つまり、天孫のニニギがコノハナノサクヤビメのみをめとってイワナガヒメをめとらなかったために、天皇、あるいは一般に人々は寿命が短く命はかないものになったのだとされているからです)そういう時のためにも、退位の制度があったほうが良いだろうと思います。言うまでもなく、歴史上には退位してきた天皇が多くいるわけですから、伝統にも反しません。

さらに言えば、この点については天皇自身の意見が尊重されるべきだとも思います。それは天皇が当事者だからでもありますし、また一番その事情に詳しいだろうからでもあります。
私は天皇の務めや皇室のしきたりなどについて詳しくは知りませんが、天皇自身はそれについて恐らく誰よりも詳しく知っているだろうと思います。その天皇が今の制度を変えるべきだと述べているわけですから、その意見は尊重されるべきだと思うわけです。
しかし天皇は政治上の実権がないので自ら今の制度を変えることはできず、だからこそ「国民の理解を得られることを切に願っています」とまで述べているのだろうと思います。こう言うと失礼かもしれませんが、「お願い」しているわけです。
天皇になにがしかの神聖さを認めているならその意向を尊重するでしょうし、またそうでなくても、少なくとも一人の人としては尊重されるべきだと思います。しかもこれは高齢者の頼みでもあります。もしこの国がこのような高齢者の頼みをむげにはね付けるような国だとしたら、その他の人々に対しても、あまり優しい国にはならないだろうと思います。

しかしながら、このような反対意見もあります。
天皇が退位すると、その時位にある天皇と退位した天皇が並び立ち、『二重権威』になってしまう。また、退位が政治利用される恐れがある」

恐らくこうした意見で想定されているのは、かつて行われていた退位した天皇(以下、上皇)が政治の実権を握る院政や、後鳥羽上皇が幕府を倒そうと挙兵して失敗して皇室の権威が失墜したこと、また平安時代後白河法皇(上皇)が平氏政権に反旗を翻して独自に天皇を立て、安徳天皇をかつぐ平氏政権と対立したり、南北朝時代光厳上皇後醍醐天皇に反旗を翻して北朝を建て、南北朝が相争うことになったことなどだろうと思います。

特に南北朝時代の分裂は多くの争いを引き起こし、皇室の権威を失墜させ、恐らくはその存続をも脅かしたであろうことを考えると、「二重権威」ということを心配するのは理解できます。

しかしながら、こうした懸念は必ずしも当たらないと思います。なぜなら、かつて上皇天皇に並ぶ、あるいはそれをも越えるような権威を持っていたのは、当時の政治の仕組みがそれを許すような仕組みになっていたからだと思うからです。
つまり、上皇が次の天皇が誰になるかを決めることができたり、上皇の出す院宣天皇の勅令のような権威を持っていて、院宣を受けた者がそれを理由にして軍事行動を起こすことができたりしたからこそ、かつての上皇は大きな権威を持っていたのだと思うのです。

しかし、そもそも今の天皇は政治上の実権を持っていませんし、皇室典範上皇の権限を規制して、天皇と同じように政治上の実権を持たないことや、天皇の行う務めに対して権限を持たないこと、天皇と等しく扱われることはないことなどを定めておけば、上皇天皇と同じように重んじられるということはないだろうと思います。
法とは別に、純然たる「求心力」という点では、確かに上皇が権威を持つということはあり得るでしょうが、それはもはや規制できることでもないし、またするべきでもないだろうと思います。なぜなら、それは人々の思想の自由だからです。天皇と関係ない一般人でも、人々の人気を集めるということはあり得ますが、それが法で規制されないのと同じことです。
今でも天皇以外に皇族という人達がいますが、彼らはたとえ特定の政治的主張を持っていても、それが皇族だからという理由で特に重んじられるということはありません。上皇も皇族と同じような立場に定めておけば、それほどの波乱は起きないのではないかと思います。

さらに言えば、(以下は書くべきかどうか迷ったところですが)そもそも天皇や皇族の政治への関わりは、それほど厳重に避けられるべきことなのだろうか?という疑問が個人的にはあります。
後白河法皇平氏政権を覆したことも、北朝南朝を下したことも、考えようによっては、そのままだと行き詰まっていたであろう政権を覆すことで、新しい時代を開いたとも考えられるでしょう。明治維新だって、明治天皇の協力がなければなし得なかったはずです。もちろんリスクはありますが、結局この世では何をやるにもリスクがあるわけです。

それに、かつて天皇藤原氏に政治の実権を握られて思うような政治ができなかったり、後鳥羽上皇が幕府に敗れて島流しにあったり、後醍醐天皇建武の新政が人々の反対で潰えたりしたことがあります。また今の天皇護憲派だと目されていますが、安倍政権は天皇の意向を無視して改憲を進めようとしています。(対立は憲法だけではないように思えますが)
要するに、日本人といえども、天皇の考えに唯々諾々と従うだけの人々なのではなく、自分で正しいと思ったらあえて違う道を行くこともあるのだと思います。そうであれば、天皇上皇が何か言えば人々が皆それに流されてしまうのではないかというように、彼らの言動を厳重に規制しなくてもいいのではないかと思うことも、個人的にはあります。
もちろん、地位や影響力ということがありますから、無制限に政治への関わりが認められるべきではないでしょうが、今の憲法で許される範囲のことぐらいはできてもいいのではないかと思います。今の天皇がしたようにメッセージを発することや、退位だってできていいだろうと思います。憲法では退位について規定されておらず、皇室典範に一任してあるので、皇室典範を改正すれば事足りるわけです。
もしそうした自由が何も認められないとしたら、それこそ人権的に問題があるのではないかと思います。