empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

戦前の「何を」反省するべきか

戦後の日本は基本的に戦前の反省の上に成り立っていると思いますが、果たして日本は戦前の「何を」反省しているのでしょうか?また「何を」反省するべきなのでしょうか?

過去の戦争の反省の上に成り立っているのはドイツやイタリアも同じでしょうが、ドイツではヒトラーナチスが悪かったとされており、ホロコーストの存在を否定することやナチスの旗を掲げることも禁じられているといいます。(東ドイツのこともあるので共産主義の象徴である鎌と鎚の旗を掲げることも禁じられているとか)イタリアではムッソリーニファシスト党が同じような扱いでしょう。

しかし日本ではどうなのでしょうか?日本では天皇は戦争責任を問われず、退位もしませんでした。責任は戦犯が取ったと言えるかもしれませんが、戦犯は靖国神社で顕彰されていますし、顕彰することを禁じられてもいません。参拝することを禁じられてもいません。
かつての軍部が悪かったと言われるかもしれませんが、戦後も自衛隊は残っていますし、日本軍の旭日旗も引き継がれています。また憲法は改正することを禁じられてもいないので今後軍が復活することはあり得ます。戦前の憲法が悪かったと言われるかもしれませんが、前述のように憲法は改正することを禁じられてはいません。
ドイツでのナチズム、イタリアのファシズムのような「思想」についても、日本におけるそれは何で、それのどこが悪かったのかということもあまり明確にされていないように思います。

要するに日本では、戦前の反省の上に立ちながら、戦前の「何を」反省するのかが曖昧であるように思えます。この辺りが、日本はドイツと違って過去の清算ができていない、と言われる理由の一つであるように思えます。また一部の人々に見られる、戦前を全肯定するか全否定するかしかないような極端な姿勢も、この辺りに由来しているのかもしれません。

私としては、戦前の根本的な問題は、それが人権が充分に認められない全体主義体制だったことにあると思います。
つまり、かつては思想の自由も言論の自由も身体の自由も充分には認められず、政府が認めない学説を唱えたり、政治活動を行うことができなかった。場合によっては特定の政治思想を持っていたために特高警察に捕まって拷問死することもあり、翼賛体制しか認められなかった、そういうことが問題だったと思います。
もちろん戦前といえども明治の始めからそのような体制であった訳ではないでしょう。大正時代には自由な気風があったと言いますし、明治の文豪の文章などを読んでも自由な思想活動が行われていたように思えます。
しかしながら、戦前の制度では、そうした活動は確かな市民の権利として保障されていたわけではなく、国権と一体化していた天皇大権に抵触しないと政府が認めた限りで「許されていた」のに過ぎなかった。だから政府がひとたびならぬと言えば許されないことになり、治安維持法国家総動員法の制定などでどんどん市民の権利が制限されていき、結局は翼賛体制しか残らないことになったのだろうと思います。
そして、こうしたことをこそ反省するべきだと私は思います。
よくかつての日本は多くの外国の人民に苦痛を与えたと言われます。確かにそれは一つの大きな問題ではありますが、外国より先に、まず日本人自身が国家の圧政のもとに置かれてきたこと、それからそれが外国にも及ぼされてきたことを私は問題と思います。戦争の反省ということはよく言われますが、では戦争になりさえしなければそれで良かったのかと言えば、私はそうは思いません。というのは、かつての大日本帝国憲法のもとでの体制のまま、日本が今に至るまで存続していることが良いことだとは思えないからです。

またこの立場から言えば、戦前の全体主義体制は否定されるべきであるとしても、戦前の「全て」が否定されるわけではないことも言えます。日本の伝統などについても同じことが言えるでしょう。人も国も、過去の悪いと思われるところを少しずつ直しながら、しかしやはり過去につながりながら今に至っているわけです。