empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

スポーツとナショナリズム

スポーツがナショナリズムを煽ったり政治に利用されることはしばしば批判的に言及されるところですが、スポーツとナショナリズムの結びつきを警戒すると逆に「自国の選手を応援しないなんて同胞への愛がないのか」といった批判がされることもあります。
五輪のせいか前よりもよくこういうことを聞くような気がします。


自分としては、スポーツで自国を応援すること自体が悪いことだとは思いません。
試合を見る側が自分と同じ国の選手を応援するということはたぶん自然な情緒でもありますし(必ずそうなるというわけではないにしても)、選手の側でも、それを支えにして頑張るということはあるでしょうから。

一方で、もしこの自国の選手を応援するということが、その試合で闘う相手やその出身国への誹謗中傷や攻撃につながるとしたら、それは悪いことだと思いますし、またこのような国別の試合に入れ込むことによって国内の社会問題を覆い隠すことになる等のいわゆる「政治利用」されるとしたらやはりそれも悪い結果になるだろうと思います。


国内で行われるスポーツの試合でも、自分のお気に入りの選手やチームを応援するのは普通のことですし、それがスポーツ観戦の楽しみでもあるでしょうが、一方で相手のチームやそのファンを攻撃したり、試合会場で暴動を起こしたりすればそれはやはり悪いことだと言うべきでしょう。国別の試合でもやはりそうだと思います。


オリンピック憲章でも、競技は「選手間の競争であり、 国家間の競争ではない」とわざわざ言われていますから、スポーツとナショナリズムとの結びつきははじめから警戒されていると言うべきでしょう。またこの憲章では差別も禁止されています。

https://www.joc.or.jp/olympism/charter/

“6 オリンピック競技大会

1.オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない。 ”

“オリンピズムの根本原則

4.スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。

6.このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。”