すごく今更ですが、コロナ禍の初期のころ、「人権に配慮してるせいで人々の行動を制限できなくなるから感染症が広がる。人権に配慮してるせいで命が守れない」といったことが言われていた記憶があります。
しかし、人権の最も基本的な要素の一つは生存権(あるいは、生命権)であって、「命を守る」ということはつまり生存権を守るということです。ですから、こうした状況下で「人権」と「命」とを対立するものだと見なすのは適切ではないと存じます。
(もっと詳しく言うと、生命権とは生命そのものの権利ですが、生存権という場合は「人間たるに値する生存」の権利という、より社会的な意味合いになっているようです)
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なので、感染症が広がって人命が損なわれないようにするために、政府が人々の移動や行動を制限したとしてもそれは必ずしも不当なことでないと私は思います。確かに移動の自由や行動の自由は大事ですが、こうした状況下では人命のほうが優先されるべきだと思うからです。
もちろん、それも安易になんでも制限するというわけではなく慎重さは求められますが、例えば外国からの新規入国者を一定期間隔離することとか大人数が集まるイベントの開催を制限することとかは別に不当なこととは思いません。
もっとも、例えば移動の自由などは、感染症が広がっているわけではない平時にしても、移動の自由は認められていても他人の家に勝手に入ることなどは元々禁じられているわけで、最初からある程度の制限がかかっているものだと言うべきでしょう。
政府が人命を守るために活動するべきであるという観念自体は、人権という概念ができるずっと前から存在しているものでしょうが、これを「生存権」として規定するということは、この観念を法的に規定するということであり、逆にこれを規定しなければ人命が法的に保護されないということにもなりかねないので、この生存権の規定は必要なことだと思います。