empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

パリ不戦条約

ロシアのウクライナ侵攻でにわかに国際法について言及されることが増えました。

その流れで国際法について多少調べていてパリ不戦条約のことを知り、戦争を原則的に違法とする動きは第一次世界大戦の後から本格的に始まっていて、日本の平和主義もこうした国際的な動向が背景にあって出来ていることが分かりました。

いや、多分歴史の授業などで知ってはいたのでしょうが、それまでははっきり意識していなかったと思います。

戦争自体を防止する試みは思想的には古くからありますが、第一次大戦より前は原則的に戦争は合法とされていたと言います。
しかし第一次大戦の惨禍は各国に戦争への危機感を抱かせることになり、平和の維持を主な目的として国際連盟ができました。これは第二次世界大戦後の国際連合のようなものだったわけです。そして日本も国際連盟常任理事国の一つでした。

1919年の国際連盟規約では「締結国は戦争に訴えざるの義務を受諾する」とされましたが、特にその後の1928年のパリ不戦条約は、戦争の禁止を法制化したものとして画期的な条約だったと言われます。

パリ不戦条約は正式名称を「戦争放棄に関する条約」といい、パリ条約、不戦条約、ケロッグ=ブリアン条約などとも呼ばれます。
1928年に、日本、イギリス、アメリカ、フランス、イタリアなど15ヶ国(後に63ヶ国が加わる)の間で結ばれたもので、「国際紛争解決のため」あるいは「国家の政策の手段として」の戦争を禁止したものでした。(自衛と集団安全保障は認められる)

この不戦条約は「自衛」に歯止めがかからず、違反への制裁条項もなかったので、第二次大戦の発生を防ぐことはできなかったが、その理念は後の国連憲章などに受け継がれたと言われます。
戦争を原則違法としながらも、自衛と集団安全保障を認める理念は今の国際法に通じるものです。(国際法は条約と国際慣習法から成ると言われます)

不戦条約(ふせんじょうやく)とは? 意味や使い方 - コトバンク

旺文社世界史事典 三訂版の解説
不戦条約
ふせんじょうやく
Treaty for the Renunciation of War
1928年8月27日,パリで日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリアなど15か国が集まって結んだ,正式名称「戦争放棄に関する条約」。ケロッグ−ブリアン協定・パリ協定ともいう
初めフランス外相ブリアンがフランス・アメリカ間に提唱し,ついでアメリ国務長官ケロッグが戦争反対のための一般条約とすべきことを唱えて成立,のちソ連をはじめ63か国が加わった。国策の具としての戦争放棄を約した最初の条約として大きな意義があるが,自衛戦争を認め,制裁条項がないため,実質的効果はきわめて少なかった。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
不戦条約
ふせんじょうやく
General Treaty for Renunciation of War as an Instrument of National Policy
正式には「戦争放棄に関する条約」という。 1928年8月 27日パリで採択,署名された。
…28年パリにおいて 15ヵ国間に結ばれたが,その後 63ヵ国が加わり 29年7月発効した。この条約によって国際紛争を解決するため,あるいは国家の政策の手段として,戦争に訴えることは禁止されることになり,あらゆる国家間の紛争は,平和的手段のみで解決をはかることが規定された。しかし条約交渉を通じて「国際連盟の制裁として行われる戦争」および「自衛戦争」は対象から除外されることも了解された。戦争の違法化を推進した点で非常に重要である。他方で自衛権という例外を生み出すきっかけともなった。

toyokeizai.net


私はこのパリ不戦条約のことを知って、それ以前にも多くの戦争があったのに、なぜ第二次大戦時の日本やドイツやイタリアがことさら悪く言われてきたのかが納得できた気がします。

つまり、当時は第一次大戦の惨禍を受けて戦争を未然に防ぐ体制を国際的に作ろうとしていた(国際連盟も主にそのために作られた)のに、日本とドイツとイタリアは国際連盟を脱退してこの条約に違反して侵攻を始め、そのためにまた大戦争が起こったという認識でしょう。言ってみれば今のロシアのような扱いだったと思われます。

もっとも、戦時中の日本もこの戦争が日本の自衛のための戦争だと主張していたようですから、この不戦条約のことは意識していたと思われますが…


当時の時代状況もありますから一概に言えませんが、もし日本が国際連盟を脱退せず、戦争を始めていなかったとしたら、日本は今の中国のようにアジア圏としては唯一の常任理事国として国際連盟に留まり続け、国際秩序を形成する国の一つになっていたのかも知れません。



一方で、国際連盟もですがこの不戦条約が第二次大戦の発生を防ぐことができなかったのは、自衛や戦争の定義が不明確で、違反に制裁を課す仕組みがない、理念的に過ぎる条約だったからだと言われます。その反省から発足した国際連合はもっと明確な規定と実効性のある制裁を課すようになり、国連もしばしば機能不全に陥ったものの、第二次大戦後は「大国」間の戦争は起こっていないし、侵略と征服による領土変更は激減したとも言われています。だからこそ、ロシアの侵攻はそれを脅かすものとして危険視されているわけですが。

その点から言えば、今の日本も国際社会と協調しつつロシアに対する制裁に加わるべきだと思いますし、実際加わってもいます。軍事的にとは言わずとも、それ以外の仕方では。

また、国際法を守るのは当然としても、それを破って戦争する相手に対抗するための軍事力というものもやはり欠くことのできないものだと思います。
私はもちろん第二次大戦時の日本の戦争を支持しませんが、逆に言えば当時日本に攻められた側はそれを防ぐために戦わなければならなかったわけで、その点からもやはり軍事は捨てることのできないものだと思います。

国際法は国内法とは違って、それを守らせるための統一的な権力や機関がないので、その点で一体性を欠いていると言われることがあります。だから慣習法が重要になるわけですが、そこでは悪しき前例を作らないための行動が必要なのだと思います。


日本国憲法の9条1項が「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄しつつ自衛権が認められるとする解釈は、このパリ不戦条約から来ていると言われます。つまり、この条約で禁じられているのは侵略戦争であって、自衛権は認められているからです。
国際紛争を解決する手段」あるいは「国家の政策の手段」としての戦争を放棄するという文言、または同じ趣旨の文言が他のいくつかの国々の憲法に見られるのも、この不戦条約から来ているのでしょう。
しかし2項は日本独自のもので、このために日本はやはり比較的厳しい制限を課してもいるのですが。


そんなわけで、日本の…また世界の平和主義は、第二次大戦後に始まったというより、むしろ第一次大戦のころから始まっていると言えましょう。そして第二次大戦後の日本もその恩恵を受けてきたわけです。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46965470U9A700C1000000/

1907年のポーター条約は国際紛争を解決する手段として武力に訴えることを初めて制限した。その後の第1次世界大戦は機関銃・戦車・毒ガスなど大量殺害兵器が登場し、戦争は悲惨さを増す。嫌気した各国は大戦後の1919年、国際連盟規約で「締結国は戦争に訴えざるの義務を受諾する」と規定した。

1928年にはパリ不戦条約で「紛争を解決する手段として締約国間での戦争を放棄」と定めた。戦争の禁止を法制化した画期的な条約だ。だが自衛権に基づく戦争は規制されず、違反に制裁はない。戦争の定義も不明確だった。歯止めにはならず第2次世界大戦が勃発した。

2度の大戦の反省を踏まえ、1945年に国際連合が発足した。同年の国連憲章は2条4項で「加盟国は武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」と規定。違反国に経済制裁や外交断絶も科した。国際法で明確に武力行使を違法と定めた。
国連憲章では国連安全保障理事会の決議を伴う場合や、個別・集団的自衛権を行使するときに武力行使できると定める。ただ、これは原則を乱す国にやむを得ず執行するものだ。本来の狙いは戦争、武力行使の回避にある