empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

「男女平等は実現し得ない」か?

自民党杉田水脈(みお)議員は差別的な発言がしばしば批判されてきた人物で、かつて「男女平等は絶対に実現し得ない反道徳の妄想」や、LGBTは子供を作らないので「生産性がない」などと言ったことがあり、政務官になったことで再びその適格性に疑問が付されていました。

なぜ起用?「LGBT生産性ない」何度も物議 杉田水脈氏が政務官に 旧統一教会問題も?


こういう主張は私も批判するところですが、ここでいう「男女平等」とはどういう意味なのかということも考えておく必要があるように思います。

仮にこの「男女平等」が、男女の間に何の違いもなく全てにおいて等しくなるという意味ならば、確かにそんなことは実現し得ないだろうと私も思います。それというのも、何か違いがあるからこそ、その違いにもとづいて「男性」「女性」と呼ばれるのであって、何の違いもないなら男女と呼ぶことさえないだろうからです。

しかしもちろん、一般にいう男女平等とはそういう意味ではなくて、男女の違いがあっても人として平等であるという意味だと思います。ですから、いわゆる基本的人権は男女を問わないものですし、参政権もそうです。


そして実際、かつての日本では女性に選挙権がなく、いわゆる家父長制のもとで家庭での地位も低かったのが、戦後の選挙法の改正で女性にも選挙権が得られ、日本国憲法(14条、24条)の交付にともなって家庭や結婚の分野を含めた男女平等の地位が規定されたので、こうした法的な地位という点で言えば、男女はすでに平等であるとも言えます。
しかも、これはかつては平等ではなかったのが平等になったわけで、まさに男女平等が「実現した」例であるわけです。


一方で、法的な地位としては男女平等でも、実際の社会では不平等が存在していて、平均的に女性のほうが仕事での昇進が難しいし賃金が低いとか、法的には結婚後どちらが姓を変えてもいいけど、実際にはほとんどの場合女性が姓を変えていてその不利益を被っているとか言われます。
そしてこの場合に求められている「男女平等」とはこうした不利益をなくすことなのであって、男女の違いをなくすとかそういうことではないと思います。私としても、こうした点で平等を求めることは間違っていないと思います。


また、LGBTは「生産性がない」という発言も広く批判を受け、そのせいか「生産性」という基準自体が反感を買うこともあるようですが、これも例えば、仕事の場で労働者を生産性で評価しても、それは不当なことではないと私は思います。もっとも、厳密にそれだけで評価すればそれはそれで問題を引き起こすでしょうが、少なくとも評価基準の一つになるのは普通のことだと思います。

しかし、例えば仕事で生産性が低いからこの人には基本的人権を認めないとか言い出したら、それはやはり不当なことだと思います。ですから、こうした基準も使い所によるものでしょう。