empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

日本書紀はもっと評価されるべきだと思う

日本の歴史は、教科書に乗っているようないわば客観的、学問的な立場から書かれたものもありますが、日本の歴史を「日本の古典から」学びたいなら何を読むべきか?

私は「日本書紀」を推します。

新編日本古典文学全集 (2) 日本書紀 (1)

新編日本古典文学全集 (2) 日本書紀 (1)

新編日本古典文学全集 (3) 日本書紀 (2)

新編日本古典文学全集 (3) 日本書紀 (2)

新編日本古典文学全集 (4) 日本書紀 (3)

新編日本古典文学全集 (4) 日本書紀 (3)

日本書紀古事記とともに日本の最古の時代を描いたものですが、日本書紀は「正史」であり、当時の朝廷の公認の書物です。つまり、日本書紀はそれに続いて続日本紀が書かれ、その中で日本書紀の成立の次第が書かれており、その後の日本でも、日本書紀の講義が広く行われていた記録が残っています。

古事記はその前文によれば、太安万侶天武天皇の命を受けて編纂したものだとされていますが、続日本紀には太安万侶の言行の記録もあるのに、彼が古事記を編纂したとは述べられていません。(また、太安万侶日本書紀の編纂にも関わっている)
古事記以外で古事記について言及した記録は、古事記編纂から100年後の時代で、太安万侶の子孫による記録です。こうした不審な点があるため、古事記偽書ではないかと言われていた時代もありました。現在では一般に偽書とはされていませんが、いずれにせよあまり広く受け入れられていた資料ではないと言えます。

そんなわけで、後世の国学者古事記に日本の本来の心が伝えられていると考えましたが、私としてはむしろ日本書紀続日本紀のラインのほうが、古い時代の日本のあり方を伝えているものだと思います。



内容からいうと、日本書紀の著しい特色の一つは、異伝を多く伝えているところです。
これは特に神代(神話時代の記述)に顕著ですが、本文を書いたあとに、「一書にいわく~~」「一書にいわく~~」という形で、それとは異なった伝承を伝えています。このため、神話も一つのパターンだけでなく、いくつか異なったパターンが伝えられています。
ここには風土記(日本各地の伝承を伝えたもの)ともいくらか並行記述が見られ、まだ神話が統一されていなかった頃の、原初の日本を見る思いがします。

新編日本古典文学全集 (5) 風土記

新編日本古典文学全集 (5) 風土記

また上に見たように、日本書紀は複数の資料(名が挙げられていたりいなかったりする)を参照して書かれており、その間のつじつまを合わせようとして、客観的な記述になるように気を使っている面も見られます。もちろん、朝廷にとって都合のいいように編集しているところも多いのですが、そこは注釈を見ながら読んでいくといいでしょう。
例えば、日本書紀神功皇后卑弥呼に比定しているので、この時代を基準にして外国の資料と年代を合わせているようです。しかし実際には神功皇后卑弥呼の時代よりも前の人らしく、そのつじつまを合わせるためにその前に何人かの天皇の時代を差し挟んでいるようですが…

日本書紀が参照している資料の中には「魏史倭人伝」のように今に伝わるものもあれば、「百済本紀」や「天皇紀」のように今には伝わっていないものもあります。こうした資料を集めて作っているという点で、古代史への興味をかきたてるものになっています。

続日本紀も良いです。私が読んだのは現代語訳がついてない版だったので読むのに少し苦労しましたが。続日本紀では異伝がなくなっており、文書作成の仕方が統一されてきた時代の流れを感じますね。

続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

続日本紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

続日本紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)


ちなみに日本書紀漢籍(中国古典)からの引用が多いので、平田篤胤のような国粋主義者はこれを不満に思っていたようですが、私としてはむしろそこに当時の時代状況を見るべきだろうと思います。まだ十分に統一されていなかった頃の日本では、漢籍が知識人階級の共通の教養で、それによって人々をまとめる意図があっただろうと思うからです。


個人的な感想を言うと、私は古事記を読んだ時は、天皇制と日本の成り立ちがこのようなものの上に成り立っているのだとしたら、それは到底受け入れがたいものだと思いましたが、日本書紀を読んだ時には、これなら一部修正すれば現代でも通用しそうだと思いました。私が天皇制と日本を肯定的に見れるようになったのは、日本書紀続日本紀によるところが大きいと思います。
なので個人的には、日本書紀はおすすめの書籍です。

読経しちゃうぞ!&さんすくみ

また読書感想文(漫画の)です。

今回紹介するのはこちら。「読経しちゃうぞ!」(読み切り)と、それが連載化された「さんすくみ」(全10巻)です。

読経しちゃうぞ! (フラワーコミックス)

読経しちゃうぞ! (フラワーコミックス)

さんすくみ 1 (1) (フラワーコミックスアルファ)

さんすくみ 1 (1) (フラワーコミックスアルファ)

おおざっぱに内容を言うと、神社の息子(神道)と、お寺の息子(仏教)と、教会の息子(キリスト教)の、仲良し二十代男子三人が色々やる話です。日常系with宗教とでも言うべきだろうか。なかなか異色の作品ですね。
たぶん「さんすくみ」から読み始めても大丈夫でしょうが、「読経しちゃうぞ!」も面白いので、そこから読むのがオススメです。

漫画で宗教を扱うと、宗教同士の対立の話や、特定の宗教をディスる内容になりがちな気がしますが、この三人はとても仲が良い上に、お互いの信条を尊重している感じがして大変良いです。皆がこうだったら世の中はもっと平和になるだろうなぁ…
一応少女漫画ですが、老若男女楽しめる作品だと思います。

宗教家の知られざる苦労話も分かるかも知れません。神社の息子だと笙(楽器)を習わないといけないのか…?

私は長崎旅行のエピソードが好きです。あとヤクザの葬式とかクリスチャン・メタルとか。クリスチャン・メタルの人は終盤で出てきただけに出番が少ないのが残念やね。

あと内容とは関係ないですが、連載されていた時期の関係で、登場人物の携帯が途中でガラケーからスマホに変わっているのが趣深い…

なぜ左派は内ゲバするのか

日本の左派やリベラル派はよく仲間割れしていると言われますし、実際ちょくちょくそれが目につきますが、これは何故なのでしょうか?
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他でもよく似たようなことが言われますが、それはそもそも「左派」と呼ばれる集団は、元々まとまった一つの集団ではなく、言ってみれば「右派ではない」集団の総称だからだと思います。

つまり「右派」というのは、その国の主流派、または伝統的なやり方に適応した人々のことであり、それに適応していない人々の集団がまとめて「左派」と呼ばれているのであって、
実際には民族的マイノリティの集団、性的マイノリティの集団、宗教的マイノリティの集団、またそれとは別に単純に政治的に左派である人々など、それぞれ異なった背景と思想を持った集団の集まりなのだろうと思います。(さらに、これらの集団の間でも細かい違いがある)もちろん、マイノリティだからといって左派とは限りませんが。
ですから、その諸集団の間ではそれぞれ思想も背景もルールも異なるのであって、であれば内輪揉めするのもある意味自然ではあります。いや、内輪揉めというより、元々異なった集団の対立というべきでしょうが。


で、このようないわゆる「左派」が分裂しているのが左派の弱さの一因だとも言えるでしょうが、ではこれをどうすればいいのかといえば、私としては、無理にその差異を無くそうとするのではなく、それぞれが独自性を発揮しつつ、協力できるところでは協力するのが良いと思います。月並みな言い方ではありますが、相互尊重しつつ共生するということです。

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言ってみればこれは地方創生のようなもので、各地方にはそれぞれの独自性があるわけですが、その独自性をなくしてしまっては地方創生にならないでしょう。
むしろその独自性を発揮し伸ばし、時には改良しつつ、また他の地方とも協力していくのが良いやり方だと思います。
更に言えばこれは個々人の関係とも同じようなものであって、人々はそれぞれの個性がありながら、また他とも協力しあって生きている(あるいは、そうするべきである)のであって、要はそれが自由、平等、そして友愛というリベラリズムの理念であるわけです。

もちろん、それぞれ違う集団が独自性を発揮しつつ共生していくためには、共通のルールを守ることが必要であって、自己を保ちつつ他者も尊重し、他者の権利を侵害しないということが必要です。
で、要はそれが、法的に言えば自然権(人権)、民主主義、法治主義政教分離三権分立といったルールなわけですが、こうした共通のルールを守るためになら、異なった集団も協力することができるでしょう。

異なった集団の集まりであることは弱さともなり得ますが、例えばアメリカなども、元々異なったルーツを持った集団が集まってできた国であって、(主にヨーロッパ系ではあるものの)英国系、フランス系、スペイン系や、ピューリタン系、国教会系、クエーカーやバプテストやカトリック系などの異なった集団が集まって、しかし共に協力して英国から独立して、西側世界の雄となりました。カナダのトルドー首相も言っていましたが、「多様性は弱さではなく、むしろ強さである」というわけです。(もっともこれは、「強さである」というよりは、「強さとなり得る」というべきでしょうが)

よく政党について、それがある人々の「受け皿となる」と言われますが、多くの人にとって、政党や政治は「受け皿」ではあっても、自分自身の「背景」「ホームグラウンド」というわけではないでしょう。(無論そうでない場合もあるでしょうが)
人々にとって根本であるのはやはりそれぞれ「自分自身の」人生であり、それを守り、より良きものにするために、人は政治を行いもするわけです。

ですから、人は各々、自分自身のよって立つところ、自分自身のルーツとアイデンティティに立ち返り、それを確かなものとして守り育てるべきでしょう。そして、自らの仲間とのつながりを深めるべきでしょう。そうしてこそ、そこを拠点にして、新たな活動を始めることもできるだろうと思う所存です。もちろんそれと共に、自分とは異なった他者を尊重することも必要ですが。

特に日本においては、人は自己主張が苦手で、自分を押し殺して生きる傾向があるように思いますが、人はもっと自己を尊重し、自己を守って生きていくべきでしょう。その点で、近年LGBTの権利が主張されるようになり、カミングアウトする傾向があるのは一つの転機かも知れません。


クリスティの小説の中に、「人の真の悲劇は、人が変わってしまうことではなく、人が変わることができないことだ」という台詞がありますが、私はこの台詞の正しさが骨身にしみています。人はどうしたって、自分自身以外のものにはなれないでしょう。また私としては、なりたいとも思いません。どこまでも自己であり続けること、それが個人を尊重するというリベラリズムの基本だと思います。


Be yourself, no matter what they say.
「お前自身であり続けろ。他人が何と言おうとも」
youtu.be

初夢

皆さん明けましておめでとうございます。

🎍🐗🐗🐗🎍

皆さんはどんな初夢を見ましたか?
私はなんか人類がほぼ滅亡した世界で、どこかの建物に立て込もって、ウイルスで凶暴化した特殊な生物と自動小銃で戦っているバイオハザード的な世界観の夢を見ました。こいつは春から縁起がいいや!

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でも実は、「初夢」というのは大晦日から元日にかけての夜に見る夢のことではなく、一月二日の夜に見る夢のことを云うという説もあります。
それと共に、大晦日~元日の夜の夢という説もあるんですが。私はこの説に依っておきます。

https://sk-imedia.com/hatsuyume-4380.html

まぁ一見悪い夢でも、例えば自分が死ぬ夢を見るとそれは良い兆しだという説も読んだことがありますし、気の持ちようが大事だと思います。今年は多分、読書感想文が多くなると思います。
今年もよろしくお願いします。

やっぱ農家って大変なんだな…「泥だらけのハニー」他2作

また読書感想文(漫画の)を書いていこうと思います。これも少し前に読んだものです。
(読書感想文自体は前から書きたいと思っていたものの、以前はリンクを貼れなかったので、紹介したいと思うものがけっこうたまってるんですよね。ご承知下さい)

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ところで、少年漫画に比べて少女漫画を読むメリットは何かと言うと、もちろん内容の好みの問題もありますが、私としては「巻数が少ない」ことを一つの理由として挙げておきたいです。
少年誌とか青年誌だと、みんなとは言いませんが、人気のある作品だと40巻とか50巻、場合によっては100巻以上続いてるものもありますし、連載期間もそれに比例してとても長いことがあり、途中から読もうと思うとなかなか大変なものがあります。

その点、雑誌のシステムの違いなのか知りませんが、少女漫画は15巻もいけば多いほうで、ものによっては2巻や3巻、1巻完結のものもあります。それに、短いものも必ずしも人気がないからというわけではないようですし。
そんなわけで、あまり時間が取れない人にもオススメできるんじゃないかと思いますね。


で、今回紹介するのも1巻完結のものです。
「泥だらけのハニー」

泥だらけのハニー (花とゆめCOMICS)

泥だらけのハニー (花とゆめCOMICS)

主人公は農家の娘で、三人姉妹の長女です。けっこう珍しい設定かな?名前は米子(よねこ)。(それにしても、三人姉妹の名前が、種子«たねこ»、稲子«いねこ»、米子ってスゲーな…)
「嫁(い)き遅れ」と自分で言うくらいの年齢なのも珍しい気がします。

あの麦わら帽子に長靴の農家ファッション、ちゃんと理由があるんやな…

さて米子さんは農業を好きではありますが、最近は農家も後継者不足らしいですし、色々面倒な問題があるみたいですね。


「働いて食べる
人生それだけじゃ
駄目かしら」
(米子心の俳句?)


分かるわ…ただ生きていくだけではない。人間社会は色々面倒なものですからね…

そんなわけで、後継者不足の農家に、米子さんが昔都会にいた頃の知り合いが、期待の新人として来てくれます。しかし、彼にはとある秘密があって…?という話。

現代の農家が抱える問題とかが身近に感じられるかも知れません。米子さんみたいに真摯に仕事に向き合ってる人は私からすると尊敬しますね…


あと、同じ作者の作品ではこれもおすすめです。これも1巻完結。
ハウスキーパーマン」

ハウスキーパーマン (花とゆめCOMICS)

ハウスキーパーマン (花とゆめCOMICS)

元ヤンキーの主人公がハウスキーパー(雇われて掃除とか料理とかする人)として働きます。ついでにあなたのお宅のトラブルも片付けちゃいますよ!
って話。

こういうの家事メンって言うんでしたっけ?まぁ家事するだけで家事メンとか言うのは、逆に日本で男性が家事をする習慣がないことを浮き彫りにしている気もしますが、この主人公くらいの家事ガチ勢だとまさに「家事メン」という感じがしますね。圧力鍋で煮込むぞコルアアア!

これに載ってる排水溝のぬめり取りのテクニック、使ってる人も多いのでは?(私もやってます)



あと、主人公が農家の娘という設定つながりで言うと、これも外せないですね。
「原始人彼氏」(全3巻)

原始人彼氏 1 (花とゆめコミックス)

原始人彼氏 1 (花とゆめコミックス)

このタイトルと表紙だけでインパクトがありますが、まさか本当に原始人が彼氏になるわけじゃないだろ…と思っていたら、わりとガチだったという、なかなか斜め上にぶっ飛んだ作品です。
まぁさすがに原始人のままってわけじゃなくて、一応進化?みたいなことはあるんですが、それにしても最初はガチですからね…色々とすごい。
昔、「1万年と2000年前から愛してる~」って歌がありましたが、1万年どころじゃない、250万年前から愛してる!って、どんだけスペクタクルだよ…

でも何だかんだで、最後はけっこう感動しました。人類愛が感じられるような気がします。

あと、劇中劇?の「農業戦士 イネカル☆おこめ」ってタイトルが素晴らしいと思いました。

儒教の再考

以前の記事( http://empirestate.hatenablog.com/entry/20171015/1508061690?_ga=2.267850766.1238838379.1543448984-1688256755.1532434600 )でも書きましたが、日本は儒教圏に含まれており、儒教的価値観が根付いていると思います。もちろん、中国や朝鮮やベトナムとはまた違った形で、ではあるでしょうが。

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これに対しては、日本の文化は神道に基づいているんだという意見もあるでしょうが、私としては、神道の内容は儒教と親和的であって、儒教と習合しつつ生きてきたものだと思います。それは両者とも祖霊信仰(祖先崇拝)に基づいていると思うからです。

(以下、少し修正しつつ前の記事から引用)


神道は日本の独自性の根拠として挙げられることがありますが、神道は自然の神々と共に自らの祖先と、過去の偉人とみなされた人々(菅原道真など)をまつるものであって、これは儒教のもとになった中国の神祇信仰と基本的に同じような内容です。つまり、文化の基層からして似かよっていると言えます。

日本史や日本の氏姓制度についての資料や、神社本庁のサイトなどでも言われていますが、古代の日本には祖先を同じくする血縁集団としての氏(うじ)(氏族)があり、その氏がまつる神が氏神(うじがみ)であって、それはその氏族の祖神であったり、その氏族と関わりの深い神(軍事を生業とする氏族なら軍神をまつるなど)であるわけです。そして天照大神もまた天皇氏の氏神であるわけです。
そうして子孫はその祖先をまつり、さらに子々孫々の繁栄を願うというのが、神道の原型であると思います。それは記紀の神話が、天皇氏の系譜を語るものであることからも分かります。

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応神天皇

日本書紀では儒教応神天皇のときに伝わったとされており、仏教よりかなり早く伝わっています。聖徳太子は仏教と共に儒教も学び両方に精通したと云われており、十七条憲法にもその価値観の反映が見られます。
しかも儒教は、仏教とは違ってこれを受け入れるかどうかで争いになったとも言われていませんし、仏教のように後で神道から分離されたわけでもありません。

明治維新のあとも神道儒教的価値観が共存していたことは、教育勅語軍人勅諭の内容からわかります。儒教や仏教を外国からの影響で不純物とみなしていた本居宣長平田篤胤も、儒教の祖である孔子本人については好意的に語っています。つまり、神道は仏教よりも儒教のほうに親和的であるわけです。(引用ここまで)


で、現代の人は儒教というとあまり良いイメージを持たないことが多いように思います。家父長制、封建制、不自由で差別的というイメージです。
私も昔はそれでろくなイメージが無かったですが、譚嗣同の「仁学」などを読んで少しずつ考えが変わってきました。確かに儒教教条主義的になっては不自由で差別的になるでしょうが、教条主義的にならなければ、確かに普遍的な道徳を述べているとは思います。

代表的な儒教道徳には仁義礼智信がありますが、人には仁(思いやり)も義(正しさ)も必要ですし、智(学を深めること)も信(信用できること)も必要でしょう。これらについては、儒者でなくても特に異論はないと思います。礼については異論もあるでしょうが、「墨子」では「礼には様々あるが、その根本は“敬い”の心である」と言っていますし、これも教条主義的でなければ、変化しつつもある程度保つべきものではあるでしょう。(墨子儒家ではありませんが、古代においては礼は一般的なしきたりで、儒家特有のものではなかったということですね)

これらとは別に、私が特に儒教の問題点だと思うのは、「忠」と「孝」、つまり君主に対する忠誠と、家族、特に親に対する忠実さの徳目です。とはいっても、もちろん親孝行など必要ないとか、上司を無視してもいいなどとは思いません。
ただ、儒教においては、これらが個々人以前の大前提とされている感があり、それらを抜きにした人の在り方というものが考えられていない、むしろその枠組みから外れる者は人非人だとでもいうような考え方が支配的であるように思います。
ですから、君主に反抗したり、親に反抗したりするようなことは大それたことで、よほどのことがない限り許されないことです。

そんなわけで実際、儒教の価値観が強ければ封建制で家父長制、不自由で差別的な社会になりがちですが、しかしそれも、必ずしも絶対というわけではありません。

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孟子

儒教では忠孝は大事な徳だとはいえ、ただ文句を言わず従うばかりであることが求められているのではなく、もし君主が間違ったことをしていれば、これをいさめることが正しいとみなされています。
また孟子は親に対してはともかく、君主に対しては、条件次第ではこれを廃してもいいとしています。つまり、君主にも君主として果たすべき務めがあるのであって、もしその務めを果たさず、悪しき振る舞いをし続けるのであれば、それはもはや君主ではなく独夫(ただの人)であるので、これを廃して新たな君主を立ててもいいという、いわゆる暴君放伐論です。(中国以外にも同じような理論がある)

これを近代の社会契約論に当てはめてみれば、社会は人々の相互の契約によって成り立っているのであって、そこで為政者になる人も、その役職に適当であるからこそ、人々から選ばれているのだと言えます。だから、もしその地位に不適当であればこれを廃してもいいというわけで、その地位は不変で先天的なものではないということになります。これは孟子の考えとも通じます。
また、君主制の社会では、たとえ暴君を廃することができるとしても、それは武力による反乱でそうするということになるでしょうが、民主制の社会では合法的にそれが行えますし、為政者は任期が限られていて定期的に入れ替わるので、こうして権力の集中を防ぐことになります。こうして、人が暴君になりにくいシステムを作っているわけです。

また親や家族に関して言えば、儒教では親や家族にもそれぞれ「らしさ」が求められるのであって、親は親らしく、子は子らしくする、ということが求められます。(具体的に言うと、親は子に慈しみを持ち、子は親を敬うべきといったものです)
ですから、ここにも一種の社会契約があると言えるでしょう。とはいえもちろん、家族の関係は君臣の関係よりも情義の結び付きが強いのが一般的ですから、軽々とその関係を絶つというわけにはいかないでしょうが、それでも、もし虐待のようなことがあるなら、その関係を絶っても不当ではないはずです。世の中には「勘当」というものもありますし、家族関係といえども不変というわけではありません。

この点についてさらに言えば、世の中には義理の家族というものがあります。それで、もしその義理の家族がそれぞれ互いに仁義を保ち、いわゆる「親は親らしく、子は子らしく」という関係を保っているとしたら、それは良き家族の在り方なのであって、その絆は絶つべきではないということになるでしょう。
一方で、血がつながった家族であっても、もしその関係が不和と対立の内にあるとしたら、それは家族として良き在り方ではないのであって、場合によっては勘当などして、その絆を絶つこともあり得るということになるでしょう。

ですから、家族の関係にとって、血のつながりは必ずしも必要不可欠なものではないのであって、むしろ仁義のつながりこそが必要なのだと言えるでしょう。

それで、こうして考えれば、君臣父子の関係は確かに大事なものではあっても、「絶対」で「第一」のものではないと言えます。
実際、儒教発祥の地である中国でも、こうした儒教的な君臣父子の関係とは反するような理念を持つ仏教が広まり根付き、また道教によっても儒教的価値観は相対化されてきたのであって、人々は必ずしも常にこの価値観に忠実であり続けたわけではありません。それも、人の持つ人間性からすれば当然のことではあります。

ですから私たちも、儒教的価値観を一定程度評価しつつも、なおそれを絶対視せず生きていくこともできるでしょう。具体的に言えば、為政者や権威者を敬うことは確かに必要ではあるとしても、しかしその敬いは絶対的で無条件なものではなく、その人が信義にもとることをしていれば、これに従わず、罷免することもできるわけです。
中世の武士でさえ、「ご恩」があるから「奉公」したのであって、無条件に奉公したのではありません。だから、後醍醐天皇に反発した武士たちはあえて反旗をひるがえしもしました。

なおこの点に関しては、日本で孟子の暴君放伐論が広まらなかったのは、それが天皇制に反するからだという説があります。この理論で、もしいつか天皇が廃されてしまってはいけないからというわけです。確かに、天皇の地位は中国の君主に比べると、一種の宗教的権威の傾向が強いので、人間同士の社会契約とは違って、ただその契約に反しているからというだけでは廃しがたいかもしれません。

しかし、現代の天皇は政治的な実権を持たない一種の名誉職なので、政治権力を持たない代わりに、その政治の責任を問われることもありません。ですから、天皇がこの名誉的な地位にとどまる限り、為政者ではないので、放伐される要もない、ということになります。(もしそうでなく、実際に政治を行っていれば、やはり政治の責任を問われることになり、場合によっては廃されることにもなるでしょう)
ですから、私たちは天皇の地位を心配する必要はなく、「実際に」政治を行っている人々の責任をどんどん追及して一向に構わないということになります。

嘘解きレトリック

今回も読書感想文を書いていきます。また少女漫画ですが、今回はこれです。

嘘解きレトリック(全10巻)

嘘解きレトリック 1 (花とゆめCOMICS)

嘘解きレトリック 1 (花とゆめCOMICS)

嘘解きレトリック コミック 1-10巻セット

嘘解きレトリック コミック 1-10巻セット

舞台は昭和初年の日本。(昭和初年とは、「昭和元年」のことではなく、昭和の最初の数年間のことらしい)
主人公の浦部鹿乃子(うらべかのこ)は、人が嘘をつくとその「音」が聞こえる(つまり、その人が嘘をついていることが分かる)特殊な力を持っています。

この力のために周囲から疎まれ、郷里を出て九十九屋町(つくもやちょう)という街にやってきた鹿乃子が、探偵の祝左右馬(いわいそうま)と出会い、彼の助手として、いくつかの事件に関わることになる…というわけで、つまりミステリー、推理ものです。

ミステリーではありますが、「嘘」を聞くことができるという特殊能力があるだけに、普通の推理ものとはまた違った独特の展開になっているのが面白いですね。


私もミステリーはけっこう好きで、シャーロック・ホームズのシリーズとか、クリスティとか、有栖川有栖とか、金田一少年の事件簿とか読んできましたが、推理自体は得意ではないので、真相にうまくたどり着いたことはあまりありません。
それでもミステリーが好きなのは、謎解き自体よりは、そこに現れる人間模様とか心理ドラマとかが好きだからなんでしょうね…


嘘が聞こえるという自らの特殊な力のために周囲から気味悪がられ疎まれ、また自分でも自分を疎むようになり、自己を肯定できなくなっていた鹿乃子が、左右馬やその仲間たちと出会って少しずつ前向きになっていく辺りはとても良かった…
良き理解者に出会えるということは、やはり人生では大事なことなんでしょうね。

それにしても馨(かおる)さんめっちゃいい人やなぁ…


途中に出てくる人々の人間模様もまた良いですが、個人的にはやはり史郎さんと武上(たけがみ)の話が印象深いというか、身につまされますね。

そうだよな…人に言われたことにもとづいて動いているだけでは、結局人に振り回されるだけの人生で終わってしまう…
月並みな言い方ではありますが、自分の答えは自分で見つけなければならないってことですね…分かるわ。人には当てはまることでも、自分には当てはまらなかったりしますからねぇ。


あと昭和初期のころのレトロモダンな雰囲気もまた良いです。街並みとか服装とか。
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↑こういう蓄音機とか出てきます。

ゴールデンカムイとかもそうですけど、最近こういう明治~昭和初期ごろの時代が物語の舞台になっているのは、この辺の時代がある種の「イメージ」を伴った時代区分として、もはや過去の歴史の一ページになっているということなんでしょうかねぇ。


あと恋愛要素も控えめながらありますが、控えめなだけにたまに出てくると破壊力高いというか、ラスト辺りの「雪が降ってて寒いねぇ」とか言ってたシーンはめっちゃテンション上がりましたね。思わず机バンバンしちゃいましたよ、ええ。

あと何故か「ナンセンス先生」が妙に印象に残りました。全く、こんな感想文を書いてしまうとはナンセンスですねぇ…