empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

Can't take my eyes off you(君の瞳に恋してる)

例によって最近何もやる気が起こりません。

というわけで、自分を元気づけるためにCan't take my eyes off you(君の瞳に恋してる)でも聴いてみようと思います。

 

私も昔この曲を聞いたことがあって、いい曲だなと思ったものですが、YouTubeで探してみたら日本語訳のものもありました。


君の瞳に恋してる/Boys town gang (歌詞付)

 

調べてみたら、この曲は元々1967年に発表された曲ですが、1982年にboys town gangがディスコ調にカバーしたものが大ヒットしたということで、私が聞いたのもこのバージョンでした。

楽しい感じの曲調ですが、同時に何だか哀愁が感じられて泣けるような気もします。

それにしても、これが発表された頃にはまだソ連が存在していて冷戦の最中だったのかと思うと何か不思議な気がしますね。 冷戦のさなかでも、やはり人々にはそれぞれの人生があって、恋愛したり音楽を楽しんだりしていたんだな…

なぜ政治の話題は避けられるか

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日本は政治に関心のない人が多いと云われることがあります。たぶん政治に無関心なのは日本人だけではないでしょうが、比較的そういう傾向はあると思います。投票率も低いですし。
また無関心というだけでなく、政治の話は意識的に「避けられる」傾向もあると思います。政治の話はタブー、というわけです。私自身、普段はリアルで政治の話なんてできないですし。

で、こういうタブーがあるのは何故なのかと考えてみると、それには色々考えられますが、大きな理由の一つに、「争い事やトラブルに巻き込まれないため」というのがあると思います。

これは歴史上、また今、日本を含めた世界各地で起こっていることを考えても納得できることですが、政治的な立場の違いは時には激しい対立を引き起こし、暴動や内戦を引き起こし、あるいはマイノリティーへの一方的な迫害などを引き起こすことがあります。

またインターネット上で政治について語っている場所を見たことのある人なら多分わかると思いますが、ネット上でも政治について語りだすとすぐに激しい対立が呼び起こされ、罵倒や中傷が飛び交い、他人からバカにされ、人間関係が壊れ、時には激しい敵意と憎悪が呼び起こされることもあります。

そうしてみれば、人々が政治に関わることを避けるのもある意味当然なわけで、争い事やトラブルに巻き込まれず平和に生きていたいなら、政治に関わらないほうが良いからです。少なくとも一時的には。

例えて言えば、もし私が紛争地帯に暮らしていて、争い合う武装勢力の構成員たちが私に対して「お前はどっちの側に付くんだ!?どっちの味方だ!?答えろ!!」と迫ってきたら、本心はどうであれ、「私はどっち側でもありません。私は政治に関心なんてありません。あなたたちの争いには無関係です!」と言うでしょう。その争いに巻き込まれないために。言ってみれば日本の状況も、ややそれと似ているように思います。

要するに、「政治には関わらない」というのは、この社会で平穏に生きていくための「処世術」の一つになっていると思われます。


とはいえ、自分から政治に関わるのを避ければ一時的には平穏に過ごせるとしても、政治のほうは嫌でも私達の人生に関わってくるものです。
現に私達は法で定められた税金を払わなければなりませんし、刑法が変わればその法律に従って取り締まられますし、もし将来戦争が起これば嫌でもそれに巻き込まれることになります。
立憲の枝野氏も言ってましたが、「政治に無関心であることはできても、無関係であることはできない」というわけです。


しかし、大多数の人が政治に関わろうとしなければ、政治に積極的に関わる一部の人間の意向だけで政治が動かされることになりますし、そうなれば、その人達が放っておいても私達の利益に配慮してくれるなどとは考え難いことです。

そんなわけで、健全な民主主義のためには一般市民の政治参加が欠かせないわけですが、では政治に関わるハードルを低くするにはどうすればいいかと言えば、上に述べたことを考えれば、「政治に関わっても争い事やトラブルに巻き込まれないで済む」ということが必要だと思います。

元々、というか本来は、人々の政治的な立場が違っても、それだけでは攻撃されず、逮捕されたり処刑されたりはしない、ということが「政治的な自由」であるはずですが、近年ではあからさまに、マイノリティーを「殺せ」とか「強制送還しろ」とか主張する集団もいますし、かつては左翼過激派によるテロ事件や、右翼によるクーデター事件などもありましたし、政治的な立場の違いが身の危険に直接つながるということは歴史上往々にしてあります。
また物理的な危険がなくても、社会的に孤立するとか人間関係が壊れるとかいう危険もあります。

ですから、こうした危険を取り除いて、政治的な立場が違っても安全が保証される、ということが必要であり、またそれが本来は、自由な社会の規範でもあると思います。
もちろん不当な差別とかフェイクニュース(偽ニュース)を流すこととかは別ですが(というのも、これらは政治的な問題というよりはむしろ道徳的な問題だと思われるものですから)、そこまでいかなければ、意見には多様性があっていいわけで、政治的な立場とか意見の違いについて、寛容であることが求められると思います。

また、ある人が政治については初心者で、その内容に詳しくなくて、詳しい人からすれば「無知」とも思える意見を言ったとしても、それをあまり攻撃したりバカにしたりしないということも必要だと思います。
どんな分野でもそうですが、誰でも初めは「初心者」なわけですし、政治に関わらないことが処世術となっている社会にあっては尚更そういう「初心者」が多いでしょう。しかし、そこで新参者に対して古参者が攻撃したりバカにしたりしては、新規の参加者は誰も寄り付かなくなってしまうでしょう。政治は公共のものごとなわけですから、広く市民に開かれているべきだと思います。もちろん、誰でも気軽にそれを動かしていいというわけでもないのですが。(そうすれば重大な事態を引き起こしかねないものですし)
私自身、実際の政治についてはほぼほぼ初心者なようなものですから、特にそう思います。

さらに言えば、本当に政治に無関心というわけではなくて、政治のことを大事に考えているからこそ軽々しくは話さないという人もいるでしょう。そういうことへの配慮も必要かと思います。



そんなわけで、政治に関わるトラブルを減らすことは必要だと思いますが、政治に関係するトラブルを「常に完全に避ける」ということは現実的には多分不可能なことでもあって、時にはそのために闘うこともやはり必要にはなると思います。
香港の人々が今自由のために闘っていることもそうですし、かつてのアメリカの公民権運動とか、アメリカ独立戦争とかもそうであって、自分たちの権利を守るためには、時にはトラブルや争い事を引き受けるリスクを冒さなければならないこともあります。もし当時の人々がそうしていなければ、今でもアメリカ南部では人種隔離政策が取られ、アメリカも英国植民地のままだったでしょう。

つまりは、政治に関われば争い事に巻き込まれるリスクもありますが、関わらなくてもやはり別のリスクがあるわけで、それは言ってみれば、この世に生きていること自体がすでにリスクを負っていることだからです。この世に生きていながら、この世のどんな厄介事も負わずに済むなどということは無いわけで、そうであれば、時にはリスクを負う勇気も必要だろうと思う次第です。

普遍的な道徳はあるか?

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世の中で倫理道徳とみなされていることには、時代や地域によって違いが見られるので、普遍的な道徳などは存在しない、時代や地域によって、また人によって「正義」は違うという考え方があります。いわゆる道徳的相対主義通俗的な言い方をすれば、「絶対の正義なんて存在しない」「正義の反対は悪ではなく別の正義だ」とかそういう考え方ですね。

しかし、道徳には時代や地域によって違いがあるとはいえ、また共通点も多くあります。例えば「人を殺してはいけない」とか「嘘をついてはいけない」とかは大体どの時代や地域でも共通で、重要度の違いはあるとはいえ、このような道徳が存在しないところを私は知りません。なので、そこにはある程度の普遍性もまたあると思われます。

で、こうした道徳の根拠として考えられるものには様々ありますが、一つには「信仰」があります。仏教における不殺生とか不邪淫とか、キリスト教の「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」とかそういうものですね。また、こうした創唱宗教(開祖がいる宗教)とは別のいわゆる自然宗教(開祖がいない宗教)にもこうした道徳が存在することは、フレイザーの「サイキス・タスク」や、古代中国や古代ギリシャの文献などからもわかります。
現代においては宗教の重要度は昔に比べると低下していますが、信仰による事柄は正しいとは断言できないとはいえ、また間違いだとも断言できない類いのことですから、ある程度は傾聴するべきものでもあるでしょう。


また別の根拠としては、これは先の要素とも重なることがありますが、「伝統」ということがあります。伝統的にその社会で悪だとみなされていること、罪だとみなされていること、恥だとみなされていること、というのはどの社会にもあります。また逆に義務だとみなされていることもあります。
成文法が存在しない社会では、こうした慣習の積み重ねが法律としての役割を持っていることがあります(慣習法)。また成文法があっても、それと共存していることもあります。英国では今でも慣習法が重要な要素になっています。

で、この場合、その伝統の正しさは何によって確かめられるのかと考えてみれば、それは「経験」によって確かめられると言えるでしょう。
つまり、これまでその社会ではその慣習を守ることによって人々の生活とその社会が成り立ってきた、という一つの「実績」があるわけです。もちろん、そういう実績があるからといってそれまでが正しかったとは限らないし、またそれよりも良いあり方がないとも限らないのですが(歴史上、社会に変革が起こってきた時は常に前の時代の慣習を変えてきたわけですし)、ともかくも、「これまではそれで何とかやって来た」ということで、人々の経験に裏打ちされた一定の信頼性はあります。

またそこには、一見何の意味があるのか分からなくても実は価値があるもの、ということもあり得ます。(この点は伝統以外のことにもあり得ますが)
例えば、多くの社会では近親相姦が禁忌とされていますが、これは近親相姦を繰り返すと子孫に遺伝的な障害を誘発する可能性が高まるため、それを防ぐための禁忌だと説明されることがあります。古代の人々は遺伝について詳しくは知らなかったはずですが、多分経験によってこうした禁忌を立てていったのでしょう。


また別の根拠としては、「理性」ということがあります。
例えば自然法思想で言えば、「人には互いに協力し合う性質がある」→「互いに協力し合うことが人にとっての幸福につながる」→「だから人は他者に危害を加えてはならない」といったものです。
現代の自然権(人権)思想もこの延長線上にあって、人はそれぞれの生命と財産と自由を確保しようとするが、社会を持たない状態では互いに攻撃しあってそれを確保できない、だから社会を作ってそれを確保し、また幸福の追求をする、だから社会の構成員は互いの生命と財産と自由などの権利を侵害してはならない、といった思想があります。

で、こうした諸根拠と歴史上の例からすると、次のような道徳が普遍的なものだと思われます。

・人を殺したり傷つけたりしてはならない
・強姦や不倫などの不正な性行為をしてはならない
・他者の財産を盗んだり奪いとったりしてはならない
・嘘をついてはならない

これらは仏教の五戒のうち不殺生戒、不邪淫戒、不偸盗戒、不妄語戒にだいたい相当します。(五戒のあと一つは不飲酒戒❨酒を飲んではならない❩)
またユダヤ教キリスト教十戒における「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」「盗むなかれ」「偽証するなかれ」にも相当します。またイスラム教や道教ヒンドゥー教にもこうした道徳があります。そしてこうした道徳が基礎的なものであることは、もしこうした道徳がなければどんな社会も立ち行かないだろう、ということを考えてみれば分かるでしょう。

またこの他には、神を敬うべきだという道徳観もあります。ある意味ではこれのほうがより根元的な道徳ともいえます。これは現代ではあまり重視されない観念でもありましょうが、伝統や自然といったものも突き詰めれば超自然的な起源をもっていると考えられるものですから、これもある程度は尊重すべきことかと思います。


日本の例について言えば、隋の煬帝の時代(西暦600年頃)の中国から当時の日本(倭国)を訪れた人の見聞録が「隋書倭国伝」にありますが、そこにはこんな記述があります。

「その(倭の)習俗は、人を殺し、強盗及び姦する者は皆死刑とし、盗む者は盗んだものを計って弁償させ、それだけの財産がない者は身を落として奴隷とする。その他はことの軽重により、あるいは流刑としあるいは打ち叩く刑に処す。
訴訟を問いただす時に、罪を認めない者があれば…小石を煮え立った湯の中に置き、競い合う者らにそれを探らせて、『よこしまな者は手がただれるであろう』と云う。あるいは蛇を甕の中に入れてこれを取らせ、『よこしまな者は手を咬まれるであろう』と云う…」

熱湯の中の小石を探らせる云々の記述は、日本書紀にある「盟神探湯(くかたち)」の記述とも通じます。日本書紀允恭天皇紀では、この頃自分の氏姓を偽る者が多く、偽って皇族を名乗ったり天孫を名乗る者たちがいたので、人々に沐浴斎戒させてから熱湯の中に手を入れさせた。そうすると本当のことを言っている者たちは無事だったが、偽りを述べていた者たちは火傷を負ったので、これ以降は氏姓が定まった、とされています。(火による罪の審判は中世のゲルマン族などにも例がある)

そしてこうした記述からすれば、古代の日本にも、人を殺し姦通し盗みを働いてはならない、また嘘をつく者は超自然の力によって罰せられる、という道徳観が存在していたことが分かります。もちろん盟神探湯のごときは今そのまま受け入れられるやり方ではありませんが、倫理観としては今に通じるものがあります。

そんなわけで、こうした道徳は信仰によっても伝統によっても理性によっても支持されているわけですから、私たちはこうした道徳を保っていくべきだと思う次第です。

わざと韓国製品を買ってみた

最近は政府の思惑もあってか日韓関係が悪化していますね。
以前の記事で、日韓が仲違いしているとその間隙を中国やロシアや北朝鮮につけこまれるかも知れないと書きましたが、案の定韓国では北朝鮮との関係修復で日本に対抗しようとかいう話が出ているようであーもうめちゃくちゃだよってお気持ち。

関係悪化のあおりで観光客が減ったり、日本製品不買運動があったりしてますが、一方ではやはり日韓で民間交流があったりします。Twitterでも「好きです日本」「好きです韓国」のハッシュタグができたりしてますしね。

というわけで、私は韓国のイルベ民の真似をしてわざと韓国製品を買ってみました。

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ちなみにイルベとは韓国の一部のネットユーザーで、韓国内の日本製品不買運動に対抗してわざわざ日本製品購入運動などをやってたひねくれた集団です。
blog.livedoor.jp



今回買ったのは「チャミスル」という韓国のお酒。日本でいうところの焼酎のようなものらしい。原産国は韓国ですが、日本の会社が輸入販売しています。つまりこれを買って飲めば日本も韓国もwin-winの関係、うーん我ながら愛国的活動ですね!

最近酒を飲んでないので分かりにくいですが、チャミスルの味は多分日本酒と似ています。けっこう飲みやすい気がしますが、アルコール度数は約18度と高めですぐ酔いが回る。

ついでにチャミスルを飲みながら韓国音楽でも聴いてみるかってことで、大阪なおみさんも好きだという防弾少年団(BTS)の曲を聴いてみました。

日本語字幕 【 Trivia 起 : Just Dance 】 BTS 防弾少年団

キャッチャーで良い曲です。さすが世界的に人気なだけある。ちょくちょく英語が混ざってるのは日本のj-popと似てますね。日本語よりはラップ調が似合っていてアップテンポの曲と相性がいいかも。

「一緒にやる感じがいいんだ、君と。一緒にダンスするのが好き、君と」

yes!yes!

というわけで、みんなも韓国製品買ってみるといいと思うよ。

表現の自由の不在

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慰安婦問題でたびたび物議をかもしてきた少女像などが展示されていた「表現の不自由展・その後」ですが、「撤去しなければガソリン缶を持っていく」などの脅迫により中止になったようで、無事表現の自由の不在が確かめられた企画展になりました。
www.asahi.com

〝テロ予告や脅迫の電話等もあり、総合的に判断した。撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔するというファクスもあった〞

ガソリンを持ってお邪魔するというのは京アニ放火事件を意識したものでしょうね。


ところで、この件について「表現の自由を守る」を公約に掲げてきた山田太郎議員(自民党)がこうコメントしています。

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〝あいちトリエンナーレ、私の基本原則は明確です。今回はクローズドな場所でのこと。公権力が表現を発することを中止させてはなりません。ただし、発した表現については表現者は責任を負うべきです。私個人は今回の表現は好みません。関係者に危害が及ばないことを望みます〞

この「ただし、発した表現については表現者は責任を負うべきです」で彼がどこまでを意図しているのか分かりませんが、もしこの発言が「表現するのは自由だが、発した表現のために脅迫を受けても仕方ない」という意味なら、それもう「表現の自由」じゃないよね?と思います。


というのは、「発言するのは自由です。ただし発言したら逮捕投獄されたり死刑になったりします」という状態は「自由」とは言われないわけで、それを自由というなら犯罪だって自由だということになろうからです。(犯罪を犯すのは自由です。ただし犯したら逮捕投獄されたり死刑になったりします!)
普通「自由」というのは何かを行うことを妨害されず、また行ってもそのために危害を加えられないことを言うものでしょう。


とはいえ、この人は「公権力が表現を発することを中止させてはなりません」「関係者に危害が及ばないことを望みます」と言ってるだけ、あからさまに脅迫している人々よりはまだマシとも言えますが、日本の「表現の自由」ってのはそういう状態なのかと思うとやるせないですね。

消費税増税の影響

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計算してみると、消費税が8%から10%に上がることで、仮に今まで毎月4万円で暮らしていた場合には月に+800円の出費、4万5千円で暮らしていた場合には月に+900円の出費、毎月5万円で暮らしていた場合には月に+1000円の出費になります。

水道光熱費等を合わせればもっといくでしょう。家賃がこれに合わせて今後上がったりしないよね…?

一見小さな変化に見えますが、過去増税した時にはいずれも景気が後退したそうですから、世の中全体が景気が悪くなることにより、その煽りをも受けることになるのではないか…


toyokeizai.net

消費マインドを示す代表的な指数である消費者態度指数の5月分は39.4と、8ヵ月連続で低下した。消費税率引き上げ前に消費者態度指数が低下し始めるパターンは過去3回の引き上げ時(①1989年4月、②1997年4月、③2014年4月)すべてで確認されている。

…なお、消費税率引き上げ後に1年前の水準を回復するまでにかかった期間は、①1989年4月の消費税導入時は6ヵ月、②1997年4月の消費税率引き上げ時は6年11ヵ月、③2014年4月の消費税率引き上げ時は3年7ヵ月となった。消費マインドの回復までは、最長で7年弱、最短でも半年はかかる可能性がある。

kotobank.jp



企業のほうでも、増税でマイナスの影響があると見込んでいるところが大半、特に小売業だと8割近くがマイナスの影響があると見ている、そして規模の小さい中小企業ほどそうであるとのこと。
www.excite.co.jp

参院選

明日は参院選の投票日ですね。

よく言われることですが、多くの人が選挙に行かないと、選挙に行く一部の人の意見だけ政治に反映されることになって自らの不利益になります。

 

そんなわけですから皆さん選挙に行きましょう。とりあえず私は消費税増税されたくないので野党に入れます。もちろん他にも争点はあるのでボートマッチ(政党や候補者と自分の考えとの相性が調べられる)で調べてみるといいと思うよ。

seiji.yahoo.co.jp

 

vote.mainichi.jp