empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

あたらしい憲法のはなし

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遅ればせながら、この間は憲法記念日でしたね。

それで「あたらしい憲法のはなし」を読んでみました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

私は全文を読んだことはなかったので今回初めて読みましたが、意外にも名文で一気に読めました。これはもっと評価されるべきと思います。

この「あたらしい憲法のはなし」は戦後間もない1947年発行のもので、ところどころ時代を感じさせる部分もありますが、基本的な内容は今に通じるものだと思います。

私が印象に残ったのはこの辺

〝國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。〞

〝みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとり/\が、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとり/\の國民にあります。そこで國は、この國民のひとり/\の力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとり/\に、いろ/\大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。〞


私は学校でこれを読んだことがないですが、本来なら学校でこれを習うべきでは?と思いました。
この名文が忘れられるのはもったいないですよ!

投票率低すぎじゃね?

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地方選挙の投票率が低く、地方によって差はありますが50%前後になっているようです。今のところ、全体としての推定投票率は44・10%だとか。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201904/CK2019040802000195.html

地方選挙に限らず、国政選挙でも投票率の低さについては従来から言われてますが相変わらずですね。

投票率の低さの理由として「誰がなっても同じ」とか「政治不信のため」とかいうことが言われたりしますが、もちろん「誰がなっても同じ」なわけはありません。


極端な話、もしある政党が「国民には今の10倍の税金を払ってもらいます。さらに健康保険も国民年金も廃止して利用できなくします。さらに誰かが政府を批判したら裁判なしで逮捕、処刑できるようにします」という政策を出していたとします。
そして、この政党には少数ながら熱心な支持者の団体がついていて、彼らが組織的にこの政党に投票して応援しているとします。

この場合、もし人々が「誰がなっても同じ」というので投票に行かなければ、この政党の政策は組織的な投票のために何の抵抗も受けずに通ってしまいますし、人々は、たとえこのような政策が存在していたことさえ知らなかったとしても、それを知っていて投票した人と全く同じように、今までの10倍の税金を払わなければならなくなり、健康保険も国民年金も利用できなくなり、政府を批判すれば裁判なしで逮捕、処刑されることになります。

しかし、たとえそうなったとしても、たぶん人々はそれに文句をつけることはできないでしょう。

なぜなら、「投票に行かない」ということは「白紙委任」であり、「政治の決定を他人にお任せし、他人の決めたことに従います」という意思表示だからです。

これに対して、「投票する」ということは「自分の要求を通す」という意思表示であり、「自分で政治を決定する」という意思表示です。

ですから、言ってみれば、「投票する」ということは市民の態度であり主権者の態度ですが、「投票しない」ということは臣民の態度であり、他人に従う者の態度です。

もちろん何か理由があって投票に行かないということもあり得ますが、基本的には、投票することが主権者の権利であり、自分で自分の国の行き先を決める権利だと言っていいでしょう。

そういうわけですから、他人に従うことを望まず、自分で自分の行き先を決めることを望む者は、投票に行くべきである、ということになります。


とはいえ、では何を基準にして誰に投票すればいいのかというと、それを調べるのもなかなか手間ではありますが、

私としては、ある政党(または候補者)が掲げている理念や政策や実績を調べて、その主張に賛同できるならその政党に投票し、そこに所属する人に投票すればいいんじゃないかと思います。
そうすれば、もしその政党がその公約を果たせばそれで良し、またもし果たさなかったとしても、その背信行為に対して正当に文句をつけることもできるでしょう。なぜなら、その場合は白紙委任したわけではなく、何か意見があって同意の上で投票したわけですから、その同意について意見することもできるわけです。

まぁ投票しないということも権利のうちにあることなので、今は投票していないとしても、その権利を保っておいて、いつでもそれを行使できるということが必要だと思いますが。

あさきゆめみし

また読書感想文を書きたいと思います。
今回はこちら。
あさきゆめみし

あさきゆめみし(1) (講談社漫画文庫)

あさきゆめみし(1) (講談社漫画文庫)

この「あさきゆめみし」は、言わずと知れた日本の古典文学「源氏物語」をほぼ原作に忠実に漫画化したものだそうです。
昔の少女漫画風な絵柄(ベルばらみたいな絵柄)なので平安時代の美的感覚とはミスマッチな気もしますが仕方ないね。

私も原作(小説版)は読んだことがありませんが、この漫画で源氏物語の内容を知りました。

ところで、先日ドナルド・キーン氏が亡くなりましたが、キーン氏が日本文学の研究を始めたのは、英訳された源氏物語を読んでその「繊細な美の世界」に感銘を受けたためだったとか。「繊細な美の世界」…そう、確かに私もそんな印象を受けました。

主人公の光源氏は大変モテる男ですが、彼の細やかな心遣いや、一度愛した相手には義理を尽くす態度などを見ていると、これならモテるのも納得だな…と思わせるものがあります。

彼の恋人や友人たちのエピソードも様々で、読んでみれば、誰か一人は共感できるキャラがいるんじゃないでしょうか?
紫の上の心の迷いとか、昔を思い出して哀しむところとか、空蝉(うつせみ)のエピソードとかね…あと末摘花(すえつむはな)も、後で出てきた時の展開は泣けた。
それにしても六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)がだんだんパワーアップしてくるのはすげーなと思いましたね…

あと平安京(今の京都市)から須磨(今の兵庫県南部)に行くと、もう地元の人とは言葉も通じなくて半分外国のような扱いになっていたり、海での神事とか僧侶の予言とか、当時の文化状況がかいま見えるところも面白いですね。

私は源氏が自分の子供に語った恋愛観が印象的でした。うろ覚えですが、こんな台詞でした。

「…恋とは人の心の奥底からわき上がってくるものだ。

売ったり買ったりするのは恋じゃない。

(子供に向かって)誰よりもいとしいと想い…
相手のほうでも自分を想ってくれる相手を選ぶんだよ。

そうでなければ恋は決してよろこびではないし…

胸にしみるあわれでもない…」



さすが源氏さんやでぇ…



私は、性格が近いせいか女三の宮さんにえらく感情移入してしまいましたね…。柏木てめぇコラァ!なんてことしてくれてんだコラァ!!


後編の「宇治十帖(うじじゅうじょう)」編は作風が変わってる気もしますが、wikiなど見てみますと宇治十帖編は紫式部ではなく別の人が後から書いたのでは?という説があるそうです。でも宇治十帖編も面白いですよ。

「さむしろに 衣かたしき 今宵もや
我を待つらむ 宇治の橋姫」

って歌がよかったです。まぁこれは源氏物語オリジナルの歌ではなく、古今和歌集からの引用らしいですが、平安時代にも、過去の和歌を引用するのが教養ある人のたしなみだったんでしょうね。

東方曲ベスト3とか

今日初めて知りましたが、3月19日は「ミュージックの日」らしいです。まあ特に由来があるわけでもなく、319=ミュージックという語呂合わせらしいですが。

でもせっかくだから、私の好きな東方の曲でも紹介してみようと思います。(知ってる中で)


ちなみに東方とは「東方project」という同人ゲームシリーズのことです。
原作はシューティング(一部アクション)ゲームですが、シューティングらしからぬ独特な和風の世界観とかキャラ作りとか、あと音楽とか音楽とか音楽とかが評価されています。
登場キャラのほとんど全てが女性なのでいわゆる萌え系の扱いをされることもありますが私個人としてはそんなつもりはない。

なお紹介する曲は元々ゲーム中のBGMなので、曲はだいたい2度ほどループしてます。


道中曲ベスト3はこちら。


1:死霊の夜桜
youtu.be
夜の雰囲気が感じられて良い…
静かな、でも夜のテンションで少し楽しくなってるような、そんな雰囲気。


2:廃獄ララバイ
youtu.be
ララバイとは子守唄のこと。この場合は死者の魂を眠らせるみたいな意味もあるのかもしれませんね。2ループ目以降は風の音はなくてもいいのでは?


3:幻想のホワイトトラベラー
youtu.be
これも夜道を思わせる。こういうの散歩しながら聴きたいですね。


テーマ曲ベスト3はこちら。

1:砕月
youtu.be
読みは「さいげつ」。何となくお祭りを思わせる曲調。楽しげで、しかもそこはかとなく切なさも感じさせるところがたまりませんわー


2:永遠の春夢
youtu.be
春夢は「しゅんむ」と読みます。春夢とは言葉どおり春の夢、また物事の儚いことの例えだとか。


3:ラストオカルティズム
youtu.be
妙に悲しげな雰囲気の曲。悲しげなというより悲壮感かな?ラスボス感がある。


他にも「信仰は儚き人間のために」とか「妖怪の山」とかも好きですがベスト3なので割愛。
音楽が作れるっていいなあ。

あと、私は東方の原作はやったことがありません。スマホゲーならやりましたが。

戦略メモ~新文化運動~

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筆者はリベラルネット戦略に賛同しています。この活動は、ネット上でリベラル側が自ら情報を発信し、またそれを助け、ネット上にリベラルなメディアと言論空間を築こうというものです。

この戦略への取り組みは様々あるでしょうが、私としては次のように考えています。

この戦略の目標は、短期的な目標としては自民党案による改憲を止めることであり(改憲自体には反対でなくても、今の自民党による改憲には反対という人も多いでしょう。私もそうです)、長期的な目標としては、日本にリベラルな文化を根付かせることだと思います。

とはいえ、この前者は後者から独立したものではなく、後者によって前者を達成するという面も大きいと思います。
つまり、リベラルな文化を、あるいは「気風」を作っていくことで、それが前時代的な改憲を阻止することにつながると思います。なので、私としてはむしろ文化のほうを重視しています。

これは単に戦略的な意味で言っているわけではなく、私自身の主たる関心事が文化にあるからでもあります。

よく言われますが、日本のいわゆる「同調圧力」だとか、「出る杭を打つ」文化だとか、男尊女卑だとか、固定したジェンダーロールだとか、理不尽な上下関係だとか、差別だとか、そういった文化には多くの人が不満を感じているようですし、私もまた感じています。なので、私はこうした風潮を変えていきたいと思っています。
いやむしろ、現代の政治状況自体が、こうした文化的な土壌から派生したものだとさえ言えるでしょう。

ですからこれは、自分に合った世の中を作っていくことで、自分が幸福に生きていけるようにするということで、政治に限らず、人が社会に生きていく上で普遍的に行われていることでもあります。


で、それではどうやってリベラルな文化を作っていくのかと言えば、それは私達の心がリベラルであることによってそうなる、と言えます。
というのは、文化とは人の言動(言葉や行い)によって形作られるものであり、人の言動は人の心によって形作られるからです。
ですから、私達の心にリベラリズムがあれば、私達の形作る文化はおのずからリベラルなものになっていくでしょう。

とはいえ、たとえ精神的にはリベラルであっても、それが言動として外に現れなければ社会に影響を与えることはできないでしょう。ですから、「発信」するということが肝要になってくるわけです。そして、現代ではインターネットがこうした文化の発信において大きな位置を占めているので、それでネット戦略ということが言われるようになったわけです。

文化には映画や音楽のような創作物もありますが、しかしそれに限られたものではなく、例えば公共の場で他の人に席をゆずるとか、女性を優先するいわゆる「レディーファースト」の習慣だとかも一つの文化です。
よく日本人は礼儀正しいとか、非常時でも列を作って並ぶとか言われますが、こうしたこともまた一つの文化です。

皆さんは、海外の映画やドラマなどを見ていて、登場人物の何気ない仕草や言葉に「文化の違い」を感じることはないでしょうか?
思うに、文化とはそうしたところに現れてくるものであり、またそこから影響してくるものだとも思います。

創作物にしても、たとえ一から作品を作らなくても、二次創作でも、作者の違いによって作風はおのずから変わってきます。

ですから、必ずしも政治的でなくても、私達の発信する文化は世の中に影響を与え、そこから一部派生して政治にも影響を与えるということにもなるでしょう。そんなわけですから、発信する、もっと言えば「自己主張」するということが大事ですね。

言ってみれば、このネット戦略は一種の新文化運動でもあります。
根付いた文化を変えるということは容易ではありませんが、かつて清末民国初の中国で新文化運動が行われた時には、纏足(てんそく)が行われなくなったり、弁髪が廃止されたり服装が変わったりと一定の効果はありました。また同じ中国文化圏でも、香港や台湾では海外の影響で大陸部とは違った独自の気風があったりします。
日本も明治維新で文化は大きく変わりましたし、トルコも共和国になって変わりました。
こうした前例もあることですし、私達もまた新たな時代を作っていけるでしょう。もちろん、良いところまで変える必要はないですが。

またそもそもどの国や地域でも、世代が入れ替われば、人々が入れ替わることでおのずと世の中は変わっていくことにもなります。であれば、その時代の流れに流されていくか、それとも自ら流れを作り出していくか、という違いにもなります。

少女終末旅行

また読書感想文(漫画の)を書いていこうと思います。
今までは少女漫画ばかりだったので、たまには青年誌の作品でも紹介してみましょう。青年誌でも主人公が少女二人組だったりするのはアレですが、仕方ないね。

ところで、世の中には「廃墟マニア」と呼ばれる人々がいて、廃墟めぐりや廃墟の画像集めを楽しんでいるそうです。
たぶんそんな人に好かれそうな作品だなと思ったのがこちら。

少女終末旅行(全6巻)

少女終末旅行 コミック 全6巻

少女終末旅行 コミック 全6巻

舞台は未来の地球。人類がほとんど死に絶えてしまった世界で、広大な廃墟の中をケッテンクラート(軍用車の一種)に乗って旅する二人の少女の話。

人類のみならず他の生き物もほとんど存在しない世界で、かつては人々が住んでいた、あるいは人々に使われていたであろう遺構の中を延々と旅する世界観は、寂寥感と共に一種の自由さや感傷も感じさせて、何か「もののあわれ」を感じますね。

魚さんの話とか、写真の話とか、消えるプログラムの話とか…

命って、終わりがあるってことかも知れない…そうかもね。

ラスト辺りの階段を上っていくシーンは、何だか泣きそうになりました…


調べてみたら、作者はけっこう精神的に病んでる(病んでた)人らしいですが、画面からも気だるい感じが伝わってきますし、何となくわかる気はしますね。
作中の「絶望と仲良くなる」って台詞が何か印象的でした。

ちなみにアニメ化もされてますが、私は見たことはありません。
偏見だけど、アニメ化されたら何かポップになってしまって、原作の雰囲気が損なわれそうじゃない?そうでもないのかな…



あと他でもちょくちょく言われてますが、廃墟の中を孤独に旅する世界観は「BLAME!」にも似てますね。まあBLAME!に比べれば人が機械化されたりはしていない分、まだ人間味がある気もしますが…

BLAME!  (ブラム!) コミック 全10巻 完結セット (アフタヌーンKC)

BLAME! (ブラム!) コミック 全10巻 完結セット (アフタヌーンKC)

人生の中の政治の位置付け

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最近自覚するようになりましたが、私は「政治思想」には関心がありますが、実際に行われている政治経済にはそれほど強い関心もないし、詳しくもないです。むしろ地の性格はいわゆるノンポリ(政治に無関心な層)だとさえ思います。
これはもう、元々の生まれつきの性格がこうだからだと思います。

まぁ全く政治に無関心であってはいけないでしょうが、ノンポリにもそれなりの利点はあると思います。場合によっては、政治に深入りしないほうが良い時もあるでしょうしね。


政治はその影響力の大きさからしても、人生の中でそれなりに重要な要素ではありますが、しかし(こういう言い方は不適切かもしれませんが)、私は政教分離ということを大事にしています。

私にとって政治はあくまでも政治であって、宗教ではありません。つまり、そこに人生の究極の価値があるとか、究極の真理があるとか、心の拠り所があるとかいうものではありません。
私にとって政治はあくまでも世俗的なことであって、言ってみれば日々の仕事と同じようなものです。仕事はそれ自体に価値があるというわけではないですが、生活の必要のためには働かなくてはならないのでやっている、そういうものです。もちろん、世の中には仕事にもっと深い価値を見い出せる人もいますし、それは否定しませんが。(仕事と政治には他にも性格の違いがありますが、それは措く)

そんなわけですから、私にとって政治はそれなりに重要ではありますが、しかし何よりも重要というわけではなく、二番手三番手くらいに来るものです。
政治に関心があるのはいいことでしょうが、あまり宗教的なレベルまで入れ込んでしまうとそれはそれで別の問題を引き起こすと思うので、やはりそこは線引きしたほうが良いと思いますね。

いやむしろ、自分にとって政治とは、本当は関わりたくないけど、降りかかってくるので払わなければならない火の粉のような存在だと言ってもいいくらいです。
立憲民主党の枝野氏も言ってましたが、「政治に無関心であることはできても、無関係であることはできない」というわけで、良くも悪くも政治は私達の生活に関わってくるものですからね。

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以前テレビで、選挙に行かずにパンケーキを食べに行ってた人が、「(選挙より)パンケーキのほうが大事」と言ってたのが物議をかもしてましたが、思うにそれも発想自体はそう間違ってないでしょう。私だって選挙に行かなくてすむならパンケーキ食べていたいですし。

ただ、そうやって安心してパンケーキを食べられる日常を守るためには、政治に関わらざるを得ないということです。

例えばシリアやイエメンのように内戦が起こっている国では、人々は安心してパンケーキも食べられないでしょうし、北朝鮮や中国(特にその一部の地域)のように自由のない環境でも、やはりそうでしょう。
つまり、政治情勢次第では、安心してパンケーキを食べられるような普通の日常も簡単に壊されてしまうわけです。そしてその日常は二度と戻らないかもしれません。

だから私も、面倒でも政治に関わっているわけです。