empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

参政権と自由権

思想によっては人権に参政権(選挙権、被選挙権など)を含む考え方もあるようですが、個人的には人権と参政権はまた別の権利だという意識があります。

 

もっとも、参政権がないと自分にとって不利な政策を一方的に決められる可能性があるので、人権を確保するために参政権が求められるという面はあります。

 

辞書を見ると、参政権を人権に含む場合でも、参政権はより古典的な権利である自由権とは区別されると言います。*1

なので、例えば参政権がない外国人でも人身の自由はあるので、不当に拘束されたり虐待されたりしない権利はあるはずです。だからこそ、入管での外国人への虐待や技能実習生への虐待が非難されてきたものだと思います。

 

しかし参政権はまた別で、日本国籍がない外国人には選挙権はないし、被選挙権もないので公務員にはなれません。

今後状況次第で多少変わる可能性もありますが、自分としては、この参政権の規定は不当なものではないと思います。というのは、参政権があると国政に参与することになるので、国の一員としてある程度基礎的な利害関係を共有していないと不具合が出てくるだろうと思うからです。

言ってみれば、人間としての基本的な権利は外国人にも共通のものであるけど、参政権はより狭い「会員制」の権利だといった感じです。

 

もっとも、公的機関に自己の要望を述べる請願権は外国人にも認められていると言います。*2

多分これは言論の自由と同じようなスタンスでしょう。というのも、もしこの権利が認められないと、不当に拘束されたり虐待されたりしてもそれを訴えることができなくなるだろうからです。元々、請願権は国民でも参政権が制限されていた時代からある権利なので、その性質から外国人にも認められるものでしょう。

 

また、外国人でも働いているなら、労働者としての権利は当然あると思います。

*1: 

参政権(さんせいけん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

❝ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「参政権」の意味・わかりやすい解説

参政権

さんせいけん

political rights

国民が政治に参与する権利。選挙権が代表的である。公の意思の決定に参加する決定権的参政権と,公の機関に自己の要望を述べる請願権とがある。決定権的参政権には,直接的なものと,間接的なものがある。直接的なものには公職への就任あるいは国家意思決定のための投票 (→人民投票 ) への参加がある。他方,間接的なものには国家意思決定者の選任に参与するもの,選挙における投票と公務員に対するリコールの請求,リコールの決定投票への参加がある。これらの決定権的参政権は国籍を有する者にのみ与えられる国家公民権でもある。その点,請願権は,民意を国政に反映させる手段という意味で参政権とされるが,国家所属性とは無縁と考えられ,外国人にも認められる。民主政治の発達に伴い漸次拡充されてきた参政権は,国家からの自由 (自由権) と区別されるが,その機能において後者を確保するものである。❞

*2: 

請願の手続き   (衆議院)

❝1 国会における請願の取り扱い

 

国民が国政に対する要望を直接国会に述べることのできる請願は、憲法第16条で国民の権利として保障されております。参政権のような国籍・年齢の制限はありませんので、日本国内に在住の外国人の方及び未成年の方も請願することができます。❞

大麻の合法化について

一応言うと私は大麻の合法化には反対ですし、大麻に限らず薬物乱用には反対です。

 

一部の国や地域では大麻が合法化される流れがあるようですが、そういう所ではすでに大麻が流通していて取り締まるのが難しいし、禁止しても違法に流通するといった弊害があるので合法化したほうがコントロールしやすいという理由でしょう。しかし日本ではまだそこまでいっていないと思います。

タイなどは解禁といってもあくまでも医療用としての解禁で、嗜好品としてではないと言われますし。

党派

政党にはある程度固定的な支持層があるものだと思います。

そうでないと政党として存続できないし、そうやって国民の間の多様な利益を反映するのが多党制の意義の一つだと思います。

 

しかし、単にその支持層の利益だけを見ていると、視野も狭くなって政策も偏るだろうし、その他の国民との対立が深まるだろうとも思います。

国会議員も広い意味では「一部の奉仕者ではなく全体の奉仕者」なので、支持層ではない国民の権利にも少なくとも最低限の配慮はないといけないでしょう。それが公共の福祉だと思います。

 

また政党の支持者のほうでも、政治家ほどではないにしても多少は自分たち以外の人々への配慮がないとまずいだろうと思います。(個人のレベルならともかく、社会的政治的に活動しているなら)

支持者のほうが排他的で偏狭だと、政党のほうも支持者の意向を無視できないのでそれに引っ張られて排他的にならざるを得ないだろうし、そうなると政策も偏り、他との対立が深まり、広い支持を得られないので政治的にも影響力が低下していき、また少数の支持者に依存するようになっていく…という可能性もあります。

 

しかしやはりある程度固定的な支持層がいないと政党が存続できないのも事実なので、支持層を持ちつつもできればそれ以外の人々からも支持されるか、そうでなくても最低限その人々の権利も尊重するのでないと公共の福祉に反することになるので、そこはバランスが必要なんでしょう。

 

私もそうですけど、人は自分にとって重要な利益を守ることについては非妥協的な態度になると思います。

もちろんそれが本当に重要な利益であるなら妥協できないのも自然ですが、他者との間ではどこかで妥協点を見いださないと社会が成り立たないので、核心的な利益を守りつつも双方にとっての落とし所を探るということが必要でしょう。

まぁそれこそ言うは易く行うは難しというもので、上手くいくとは限りませんが、その交渉が政治の役割の一つですから今後も課題であり続けるだろうと思います。