empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

インターネット上のコミュニケーション

インターネットでのコミュニケーションに誤解や衝突が発生しやすいのは、インターネットでは文字だけの対話になりやすいけれど現実の対話では声や態度のような非言語的なコミュニケーションが重要な役割を果たしているからだとか聞いたことがあります。

 

それにこういうこともあると思いますが、例えば現実の対話ではあまり失礼なことばかり言っていると、極端な話その場で殴られる恐れがありますし、そうでなくても今後の人間関係に支障が出るからというので多少なりとも遠慮が働くと思います。

しかしインターネットでは、特に匿名の場合だとそうですがどんな態度をとっても直接攻撃される恐れがないし今後の人間関係もないので遠慮が働かず過激化しやすいという面はある(あった)と思います。

 

それに、現実だと知人と何かの点で意見が違っていたとしても、「思想的には同意できないけどこの人自身はいい人だから」とか「家族や友人だから」とかいう配慮が働くし、「この場でこんなことを言ったらまずいな」とか「この人相手にこんなことを言ったらまずいな」とかいうTPOも含めた配慮も働くと思います。

しかしインターネットだとこういう配慮が働きにくいので、何かの点で意見が違うと露骨な思想同士の衝突になりやすい気はします。

しかもその思想にしても、偏見や誤情報の広まりやすいインターネットではそれについてどれだけ正確に理解しているか怪しいし、誤解が発生しやすく先鋭化しやすいのも相まって建設的な対話になるのにはなかなかハードルが高いと思われます。そうでなくても、政治や宗教のような領域は現実でもなかなか対話が難しい領域ですし。

 

それに、これはインターネットに限ったことでもないでしょうが、特に匿名だと誰が嘘をついているか分からないし誰が悪意を持っているか分からないので、言ったら常に疑心暗鬼という状態になりやすくそれが権威主義的な風潮を高める一因になっていると思われます。

 

もっとも、インターネット上でも場所によっては普通に平和なコミュニティや有用な情報もあるでしょうし、現実で言論の自由があまりない場合などはインターネットを通してだからこそものが言えるということもあるだろうから悪いことばかりではないでしょう。

既存の報道機関や官公庁がインターネットで提供している情報などは私も現実のそれと同じように使ってますし、インターネットという媒体そのものというより、そこに特徴的なコミュニケーション様式の問題なんでしょう。現代社会でインターネットを使わずに生きるというのは難しいし、やはりそこはうまく扱う必要はあると思います。

しかしインターネットの利用には危うさもあるので、やはり現実に基礎を置きつつ節度ある利用が必要なんだろうと思います。これは自分にとっての反省点ですが、気をつけていても現実感を忘れがちになることもあると思います。

逆に、現実の社会にある一般的な良識や道徳や人間関係といったものが、時にはしがらみや障害にもなるけど現実の社会にはそれがあることである程度バランスが保たれている(いた)ということでもあるでしょうが。