以前にも似たような記事を書きましたが、日本や世界に見られる右傾化の原因には、外的な要因としてはテロリスト集団や一部の国の軍事的圧力に対する懸念などがあり(しかし、しばしば現実の脅威だけでなく、脅威としてでっち上げられたデマやフェイクニュースや、こうした外敵の政治利用なども混ざっている)、またそうした外的な要因だけでなく、内的な要因として、人々が精神的に、また社会的に不安定な状態にいるために、よりどころとして「自らの集団への帰属意識」が求められているということがあると思います。
多分2008年くらいのニュースですが、ロシアでネオナチが大量に見られるようになったというニュースをNewsweekで見たことがあります。そして、かつてのソ連はナチスと戦う立場であったのに、なぜネオナチが台頭してきたかといえば、それはソ連の崩壊で、社会的なイデオロギーや、教育や就職などの公的なサービスが一体化して提供されていたのが無くなってしまい、人々は社会の中でどのように生きて行けばいいのかというガイドラインに迷うようになったので、こうしたイデオロギーを提供するものとしてネオナチが台頭してきたのだろうと考察されていました。
日本における右傾化にもこうした傾向が見られるように思います。つまり、右翼的なイデオロギーというのは、自分がどういうルーツを持ち、どういう集団の一員であるのか、自分がどのような社会的役割を持ち、どのような使命を果たすべきなのか、そして戦うべき自分の「敵」は誰なのか、といった答えを人々のために用意してくれるものなので(それが妥当か否かはともかく)、アイデンティティーの不安定な若者や、人生をどのように生きていけばいいのか迷っているような人、社会の中で疎外されていて帰属意識を持てないような人を引きつける力があるのだと思います。
その上、現代の日本ではこうした答えを人々に与えてくれるようなイデオロギーが希薄であったので、人々にいわば精神的な空白地帯が生じているので、そこにこうした右翼思想が広がる土壌ができていたのだと思います。
そしてこうしたイデオロギーは、自分のルーツや果たすべき役割などの問いに対しての答えがそろっているという点で、一種の宗教的な傾向も持っているように思います。ナチズムにも宗教的な傾向がありましたが、日本の場合は単に宗教的な傾向にとどまらず、本物の宗教団体が直接関わっていることもあるので、その点とても危ういものを感じます。言ってみれば、イスラム圏の国々におけるイスラム原理主義に近いものさえ感じます。
以前の記事でも書きましたが、かつての大日本帝国もまた、国家神道に支えられていた政教一致の体制だったと思います。そしてこういう、分かりやすい政教一致の体制が、一部の人々を引きつけるだろうことも分かります。それは、思想信条を同じくしない人々には、理不尽な苦しみを与えるものなのですが。
私は自分ではそこそこ愛国心があると思っていますが、私はこの国を宗教的なものとしてではなく、あくまでも世俗的なものとして愛しています。天皇にも敬意を払っているつもりですが、神としてではなく、あくまでも人間の君主として敬意を払っています。
政教分離は、主観的な信条に基づいて政治が行われないためにも必要ですが、人々の思想の自由を守るためにも必要なものだと思います。国にありながら国に思想を縛られないでいてこそ、本当に自由な国でもあり、それでこそ愛国心を持てるだろうとも思います。