日本の国旗損壊罪にはたびたび反対意見が出されてきましたが、そのどこに問題があるのかについてはこの辺りに述べられていました。
しかしここでは特に個人的に目についたところだけ自分の考えを書いておきます。
国旗損壊罪の新設についての刑法的考察(園田寿) - エキスパート - Yahoo!ニュース (2026/5/25)
国旗損壊罪はおよそ刑事法の体をなしていない(園田寿) - エキスパート - Yahoo!ニュース (2026/6/18)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/momoyamahougaku/44/0/44_23/_pdf/-char/ja (2025/11)
「国旗損壊罪」に刑事法学者148人が反対声明「危険で重大な疑義」 [国旗損壊罪 高市早苗総理 自民党]:朝日新聞 (2026年7月9日)
【やさしく解説】国旗損壊罪、なぜ今?懸念は?…アメリカでは「国旗を燃やすのも表現の自由」、ドイツでは処罰対象 【やさしく解説】国旗損壊罪(1/4) | JBpress (ジェイビープレス) (2026.6.10)
この法律を推進してきた側からは外国の国旗に対してはその損壊を罰する法律(外国国章損壊等罪)があるのに日本の国旗に対してはそれがないのがアンバランスだという主張がされてきました。
これについては、よく言われますが外国国章損壊等罪が出来たのは当時(1907年)の日本でこの行為が外国との外交問題に発展することを避けるためにできたもので、その保護法益(法によって保護される利益)は日本の対外的な外交関係の安全であって、日本の国旗損壊罪のような「国旗を大切に思う国民感情」ではないとされます。
当時の日本政府が日本の国旗にも同様の規定を作ろうと思えば簡単にできたでしょうが、戦前も戦後も含めて100年以上もそのような法律ができなかったことは、これが日本の国旗との間でバランスを取るような問題だとは考えられていなかったことの証左だと思われます。
また外国国章損壊等罪は相手国の要請がないと成立しない親告罪で、また外国国旗でも対象になるのは在外公館などの公的な場で掲げられているものに限られ、私的に所有する国旗は対象にならないとされているので、日本の国旗損壊罪とは適用条件の点でも違っています。
他国にも国旗損壊罪があるから日本にもあっていいという意見もありますが、例えば欧州の例では、ドイツとスペインではその保護法益は「国の存立と憲法秩序」(あるいは単に憲法秩序)になっていて日本のような「国旗を大切に思う国民感情」ではないし、政治的な抗議活動として損壊が行われた場合には適用されないという判例ができているそうです。(国旗にナチスのシンボルマークを重ねるようなヘイト目的の場合は適用される)国旗損壊罪がある欧州の他の国々でも同じように政治抗議の場合は適用されないか減刑されるが、ヘイト目的だと適用される傾向があるとされます。
日本の国旗損壊罪の議論を受けて、こうした欧州式の国旗損壊罪を導入すればいいという意見は2025年にもありました。
イタリア式国旗損壊罪の提案 | イタリア事情斜め読み | World Voice | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
保護法益については、他国では「国旗が象徴する人類普遍の価値と、それに基づく国家体制」になっているという記事もありますが、これは多分「憲法秩序」と同じ意味でしょう。
ちなみにドイツの場合は、現在の国旗は第二次大戦後に出来たものらしく、ナチス時代とは違って民主主義の国だという象徴的な意味合いがこめられていると思われますが、日本の国旗は戦前のものを流用しているのでこの点でもケチがつくと思われます。
またアメリカの場合は法律自体はあるけど表現の自由に反するからというので適用されない判例ができており死文化しているそうで、その判例では国旗の損壊が他人に不快感を与えることを認めつつ、「不快感」では罰する理由にはならないとしているそうです。
欧州以外の国々ではどうなっているのか知りませんが、中国では厳罰だと言われます。ちなみに中国政府は香港の民主派を弾圧する際に、中国国旗の損壊は「民族の感情を傷つけるものだ」と言って批判していたそうです。
またよく言われる問題点としては表現の自由(言論の自由)との関係があります。
一部では、表現の自由と言うともっぱら漫画やゲームのような創作物の表現の自由のことだと考える傾向があります。確かにそれも表現の自由の一部ではありますが、本来、表現の自由で特に手厚く保護されるものは政治に対する抗議や批判や反対意見のような「政治的言論」であるとされます。(これは、時の政府や権力者によってその都合の悪い主張が封殺されることに対する反対として表現の自由が主張されるようになったからだと思われます。)
この点は上に引用した文章でも言及されています。
“とりわけ、時の政府の政策、国家体制、あるいは国家主義的な風潮に対する強烈な異議申し立てや批判の意思を表明する手段…は、民主主義社会において最も手厚く保護されるべき「政治的言論」の中核に位置づけられる。”
“政府の行為に対して抗議の意を公に示すことは自由主義からも民主制国家のあるべき姿からしても尊重されなくてはならない…国旗を損壊する行為は、政治的表現である場合が多いから、他の物を損壊する場合よりもより一層保護の程度も高まる”
しかし、その核心的なはずの表現の自由よりも「国旗を大切に思う国民感情」や「不快感、嫌悪感」のような感情のほうが優先して保護されるとしたら、それは法的にかなり問題があると思われます。
感情を保護するものとしては他にも礼拝所不敬罪や公然わいせつ罪などがありますが、これらは(直接的には)政治ではないし政治に対する異議申し立てとして行われるものではないという点が違うとされます。
(また信教の自由と政教分離の体制の下では個人は宗教を強制されないので、ある宗教に反対意見を持っていてもそこから離脱する自由があるという点でも違いがあると思われます)
しかし国旗ははっきりとした政治的なシンボルなので、政治的言論との関係は避けられないと思われます。
さらに、この国旗損壊罪は同じような範囲をカバーしている法律がすでにあるので、自分の所有する国旗を他者の管理する場所に侵入せず業務を妨害もしない形で損壊するというようなかなり限定的な状況でないと適用できないし、それでも現実的ではないと(2025年の時点では)言われていました。
おまけに「表現の自由」に配慮したためか創作物の表現の場合には適用されないことになったので、「不快感、嫌悪感」を与える表現自体は結局防ぐことができないというちぐはぐなものになっていると感じます。元々が思想のために作った法律なのでそのまま運用すれば思想の自由や表現の自由に引っかかるし、逆にそれを避けようとすれば法律として機能しなくなるということでしょうが。
もっとも、今後対象が拡大されたり厳罰化が進んだり、あるいは恣意的な運用がされるようになればそれも変わるかもしれません。
とはいえ、表現の自由との関係などを考えれば、この法律が成立したことによる精神的な意義は小さくないかもしれません。今後この法律に反対する運動などが行われるかもしれませんが、そうなると立法事実ができたということで厳罰化や対象の拡大が起こるかもしれませんし、そうすれば「国旗を傷つけようとする勢力」と戦う姿勢をアピールすることで愛国心を鼓吹して支持を固めることになるかもしれません。国旗が国の象徴であるだけに、そうすれば「国のために戦う」姿勢をアピールすることもできるでしょう。
色々問題点はありますが、一度こういう法律ができると廃止することはなかなか難しいであろうし、国旗が国の象徴であるだけに、廃止しようとすると反対派は「国に敵対している」というイメージが広まる(あるいは意図的に広められる)だろうからなおさら困難でしょう。
妥協点を考えるとすれば、欧州の例を参考にして、この法律を改定して保護法益を「国旗を大切にする国民感情」ではなく「憲法秩序」にして、政治的な抗議活動の場合は適用しないことにすることも考えられます。
それでもこの法律がない場合に比べれば日常生活に制限が増えることには変わりないですが、これならまだ正当な範囲でしょう。
保護法益が「憲法秩序」である場合、その憲法秩序自体が表現の自由や思想の自由を保障するものなので、寛容のパラドックスと同じようにそれ自体に対する攻撃は禁じられるという理論は成り立つし、それを運用する際にも、憲法秩序の中に表現の自由が含まれているだけに、表現の自由への不当な侵害という自己矛盾にならないように配慮するという理論は成り立つと思われます。
しかし「国旗を大切にする国民感情」や「不快感、嫌悪感」はやはり主観的な感情なので、「表現の自由に配慮する」という但し書きをつけても本質的なものとはなりにくいと思われます。
もっとも、欧州のやり方でもやはり一歩間違えば表現の自由の侵害になるだけに慎重な判断が必要とされていることには変わりないし、欧州では欧州人権条約を基準にして運用がなされているようですが、日本の場合にそれと同じようなものがあるか、あっても有効に活用できるかという疑問はありますが。