empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

無題

カルト宗教への法的な対策は、信教の自由があるので内心の信条自体を規制するのではなく、外的な行動が他者や社会に具体的な損害を与える場合にそれを規制するものだと言われます。

もっとも、これは政治の領域での話であって、宗教の領域では伝統的な宗教が新宗教についてそれは正統派なものではないと判断することはありますし、部外者にとってはそれがその宗教の正統性を判断する有力な根拠になるでしょうが。(伝統的な仏教やキリスト教が仏教系の新宗教キリスト教系の新宗教を非正統的なものだと判断する場合のように)

 

政治的な過激派についても多分同じようなことが言えるでしょう。

つまり、やはり内心の自由がありますので政治思想自体が規制されるというわけではなく、それにもとづいて行われる外的な行動が他者や社会に具体的な損害を与えるものだから規制されるということです。

 

正直私も、仮に他人が差別主義者だったりファシストだったりスターリン主義者だったりしても、それが単に当人の思想にとどまっていて具体的な実害がないなら別にどうでもいいくらいに思ってます。(そういう人と友達になれるかと言ったらまた別の問題ですが)

 

しかしこうした政治思想は単に内心の問題にとどまるということはあまり期待できず、やはり現実に実現されることを求めるものだと思うし過去にその実例もあるので、だからこそその実害を防ぐことが必要だしまた思想的にも反対されるものだと思います。というのも、それが多数派になってしまうと実害を防ぐ仕組み自体も壊されるかもしれないからです。

 

しかしソ連のようなプロレタリア独裁の体制や、逆に反共主義ファシズムの体制に見られるように、対立する意見を認めず複数の政治的主体を認めないというのはやはり独裁への道だと思うので、他者の権利を侵害しない限りでの政治的多様性というのはやはり必要だと思いますしそれが多党制の意義の一つでしょう。

しかしこうした多様性が確保されるためには、思想良心の自由や言論の自由や人身の自由といった個人の権利が前提にないといけないので、やはりそこは基本的なものだと考えます。