empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

自由主義と平和主義

日本では歴史的な経緯から自由主義と平和主義が結びつけて考えられる傾向が強かったと思いますが、本来の思想自体としては別々のものだと思いますし、場合にもよりますがそこは分けて考える必要があると思います。

 

それに平和主義にしても、安全保障はやはり相手があることですから、相手の出方次第で自国の政策が左右されるということは否定できないところだと思います。

もちろん、自国の基本姿勢として平和を求めるということはできますしそれは必要なことだと思いますが、実践的な政策として常に軍事力行使を避けられるかといったらそこはやはり相手次第ということはあるでしょう。

それこそ、仮に満州事変〜日中戦争のころの日本軍のように、他国の軍が日本国内にいて「自衛」を主張しながら占領地を広げていくという状態であれば、そこで戦争を避けるということはやはり困難だと思われます。(もっとも、当時にしても交渉は行われていたのですが、結果的には全面戦争化したのは歴史の通りです)

 

一方で、自由主義のほうは単に自国のあり方としての自由主義ですから、そこは相手次第ではなくもっと自主的にとれる立場だと思います。

とはいえ、もしかするとここにも、場合によっては他国を相手にするよりも厚い壁があるということも無いとは言えません。

 

例えが悪いかも知れませんが、アフガニスタンが米軍が去った後はすぐにタリバン政権に戻ってしまったように、元々の社会にそれを受け入れる地盤がないとなかなか自由にはならないということもあると思います(無論アフガニスタンの場合はアメリカの問題も大きいですが)。もっとも、アフガニスタンにもタリバン政権に反対する人々はいたし今もいるでしょうが、一部そういう人々がいてもそれを封殺するような構造というか力学が当地の社会にはあるように思えます。

中国にしても、民主派と呼ばれる人々は今でもいるようですが当地では抑圧されていますし。

 

日本では、大日本帝国時代には影もあるにしても、内政的にはたぶん大正時代までは当時としては順調に民主化が進んでいたと思います。大正時代には今でも実現していない二大政党制が行われていた時期もあるそうですし。

しかし、昭和に入った頃から国の内外で壁にぶつかると共に、民主化自由主義化に逆行して、天皇の絶対性を主張するようなある種の先祖返りしたような君主主義が国を席巻したように思えます。かつては定説だった立憲主義的な天皇機関説を排撃した国体明徴運動にもそうした性格があったようですが。(昭和天皇自身はこうした動きにはむしろ反対だったようですが)

 

国体明徴運動(こくたいめいちょううんどう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

世界大百科事典内の国体明徴運動の言及

【国体明徴問題】より

…1923年の〈国民精神作興詔書〉をうけて開始された全国的教化運動は,すでに最初から,〈国体観念を明徴にする〉というスローガンを掲げていた。こうした二つの方向は,満州事変以後の戦時体制化の過程で,合体しながら攻撃的性格を強め,35年には,憲法解釈としての天皇機関説排撃を突破口として,個人主義自由主義をも反国体的なものとして否定しようとする国体明徴運動をひき起こすこととなった。まず35年2月の第67議会で貴族院菊池武夫美濃部達吉(当時東京帝大教授,貴族院議員)の学説をとりあげ,統治権の主体を国家とし,天皇をその国家の最高機関とする天皇機関説は,天皇の絶対性を否定し,天皇統治権を制限しようとする反国体的なものだ,として攻撃を開始,これに呼応して院外でも軍部の支持のもとに在郷軍人会や右翼団体などの運動が全国的に展開されることとなった。…

 

国体明徴問題(こくたいめいちょうもんだい)とは? 意味や使い方 - コトバンク

百科事典マイペディア 「国体明徴問題」の意味・わかりやすい解説

国体明徴問題【こくたいめいちょうもんだい】

軍部,右翼が天皇機関説を排撃してひき起こした政治問題。1935年2月貴族院美濃部達吉天皇機関説が非難され,さらに不敬罪として告発され貴・衆両議院有志が攻撃を開始。軍部,右翼のほか,政友会も倒閣のためこれに同調,4月,岡田啓介内閣は美濃部の著書を発禁にし,国体明徴を8月,10月の2度にわたって声明した。美濃部は9月貴族院議員を辞任。以後言論統制が強化。政府はさらに11月教学刷新評議会を設置,同会答申に基づき1937年に刊行された《国体の本義》では自由主義・民主主義の基礎としての個人主義を排撃,日本を皇室を宗家とする〈一大家族国家〉であると規定した。

 

現代日本では、さすがに当時に比べれば自由主義はより強固な地盤を持っているとは思いますが、どんな国にしてもそれが常に安泰というわけにはいかないでしょうし、現代では世界的にも権威主義が高まっていると思いますので予断を許さないと思います。

もっとも、自由主義にしても、個人的には人生のあらゆる分野で自由主義化するべきだとか思うわけではなくて、人によっては文化的に保守的だったり、宗教家が宗教的に保守的だったりすることはあるだろうし、基本的にはそれは不当なことではないと思います。

しかし、全ての国民が同じ思想信条を持ち、それが将来も常に変わらないというのでない限り(そしてそんなことは現実にはまずないですが)、人がそれぞれ自分の信条に忠実であるためには、信教の自由や思想良心の自由や言論の自由、また人身の自由(不当に拘束されない自由)といった個人の権利がなくてはならないし、またそれを確保するための法の支配や民主主義や政教分離の仕組みもなくてはならないと考えます。無論それと共に他者に危害が加えられないようにする調整も必要ですが、そこを調整するのが公共の福祉の観念でしょう。