empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

男尊女卑とミソジニー

右翼は、右翼のイデオロギーと共に男尊女卑やミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)の傾向を持っている場合が多いように思います。
(なお女尊男卑や男性嫌悪(ミサンドリー)というものもありますが、私にはあまり身近ではないので、ここでは取り上げません)

ファシズムの初期兆候にも「性差別の横行」が挙げられています。
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で、その理由は何かと考えてみると、以前の記事でも書きましたが、それはこうした右翼思想がアイデンティティに結びついていることから来ていると思います。
(以前の記事→http://empirestate.hatenablog.com/entry/20180614/1528969699?_ga=2.114743375.917430249.1536204627-1688256755.1532434600)
右翼の思想は単なる政治思想にとどまらず、人にアイデンティティを提供するものである、つまり、自分のルーツは何で、自分はどういう存在であるのか、自分の属する集団は何であり、「敵」は誰で、「味方」は誰であるか、果たすべき自分の役割は何であるか、どのように生きていくべきか、といった思考の枠組みを提供するものであり、それが人にアイデンティティを与えるので、アイデンティティが不安定な若年者や、自己評価が低く自分に自信が持てない人を引き付ける力を持っているのだと思います。

そして、性別やその性別に期待される役割(ジェンダージェンダーロール)は、人のアイデンティティを形成する上で重要な一角を占めているので、右翼思想に傾倒する人(男性の場合)は、そこに現れる「典型的な」男性像やその役割といったものに強く自己を同化させることになるので、「男らしさ」や「女らしさ」に対するこだわりが強くなり、その「伝統的」な観念からしばしば男尊女卑やミソジニーに走ることになるのだと思います。

そのため、右翼に限らず、宗教的原理主義者のようにイデオロギーに傾倒する人にもしばしばこうした傾向があるように思います。


とはいえ、これはただ伝統的な観念だけによって起こるというものではなく、そうした男尊女卑やミソジニーの思想に傾倒する人の、もともとのアイデンティティの不安定さや自己評価の低さから来ている面も大きいと思います。
つまり、そこに自らのアイデンティティをかけている人は、自己の不安定さや自己評価の低さを補うために、過剰にこうした価値観に入れ込むことになり、それに少しでも反対されると、自己を守るために強い拒否反応を示すことになるので、こうして男尊女卑やミソジニーが普通以上に強まることになるからです。


私事ですが、私もかつては男尊女卑やミソジニーの思想に傾いていた時期がありました。
しかしそれは、本当に女性嫌いだったからというよりは、自らの精神を安定させるためにこそそうしていたのであって、自分でもそのことを自覚していました。
私は若年期からアイデンティティが不安定で、精神と神経の状態もあまり健康ではありませんでした。そして自分が、自分が思う、また世間が求めるような男性像にかなっていないことに負い目を感じてもいたので、少しでも自分の精神を安定させるため、また自分を自分の思うアイデンティティの枠内にとどめておくために、男尊女卑やミソジニーの思想を意図的に取り入れていました。
右翼思想にこそ傾倒しなかったものの、少し条件が違っていれば間違いなく右翼になっていたと思います。
(またこの頃には、女性のことを、自らの精神的な安定を脅かす存在のように思っていた覚えもあります)

そのあと、色々な経験を重ねて、精神状態が比較的落ち着くようになっていき、またジェンダーセクシュアリティについての理解が深まったことで、どうやら自分もマイノリティの一種らしいということが分かってきて、自分のアイデンティティもようやく確立していきました。
それに伴って、男尊女卑やミソジニーも、もともと心から賛同していたわけではないので、あっさり捨てることになりました。
そして、今までは自分の精神の安定を図ることに手一杯で、気づかう余裕のなかった女性の立場についても、多少は配慮できるようになったと思います。

そんなわけで、まず自分の精神を安定させることが、極端な思想に走ることを防ぐために必要だと思います。