empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

民族と民族主義

一応言っておくと、私の政治姿勢は基本的に反中国、反北朝鮮、反ロシアで、親米国、親韓国、親台湾香港ですが、それはあくまでも政治思想と体制によるものであって、民族によるものではないということは言っておくべきだと思います。

一部では異論もあるようですが、大陸中国(中華人民共和国)も、台湾香港も、基本的にはどちらも漢民族主体の国であると言っていいでしょう(少数民族もいますが)。北朝鮮と韓国も、やはりどちらも韓民族(朝鮮民族)の国であって、別に民族的には違いはありません。
ですから大事なのは民族ではなくて、政治思想と体制のほうであり、反中国ではあっても、民族的に中国人(漢民族)であることが悪いことだとは私は思いません。


もちろん台湾や韓国も色々と政治的社会的な問題を抱えてはいるでしょうが、それでもこれらの国々は日本と同じく自由主義の国々であって、人権や民主主義や法治主義政教分離を守る(というより、守ることになっている)国々だと私は見ています。一方で、中国や北朝鮮一党独裁の自由がない国々であって、これは私が肯定しない体制です。


思えば、香港が中国に返還されることが決まった時には、香港の人々の中には、同じ漢民族の国である祖国に復帰するのだからそれは喜ばしいことだと思った人々もいたであろうと思います。(当時香港に居た日本人のエッセイで、そういう人々がいたということを読んだ覚えがあります)

しかし今になってみると、結局その返還は新たな圧制の始まりだったわけで、「同じ民族」だという信頼感など、何のあてにもならない欺瞞だと言わざるを得ません。

同じ民族だという意識が無意味だとまでは言いませんが、少なくとも政治的な面で言えば、それは人々の自由や権利を保証してくれるものではないわけです。
もとより、歴史を振りかえってみればそれも明らかなことであって、歴史上、世界中で行われてきた圧制苛政は別に異民族によるものだとは限らないものです。


もっとも、「民族」自体は人々を絆で結ぶものではないにしても、「民族主義」という思想のほうは、それを共有する人々の間では、人々を結びつける絆になっているとは言えるでしょう。それは言ってみれば、共産主義共産主義者同士を結びつけ、イスラム主義がイスラム主義者同士を結びつけるようなものだからです。
とはいえ、この民族主義という思想は同じ民族だという事実(あるいは、その意識)から自然と発生してくるようなものではなく、やはりある一つのイデオロギーなのであって、その思想を同じくする人々の間でしか、十分には通用しないのだと思います。そうでなければ、世界中どこの時代や地域でも、人々はこの民族主義によって国を作り、それによって政治的な行動を起こしてきたであろうからです。しかし実際には、古代から王や皇帝は複数の民族を統治してきたし、一つの宗教が複数の民族の間で受け入れられてきた…さらに言えば、逆にこうした要素のほうが民族を形作る要因にもなってきたわけですから。

鬱です

一部界隈では小池百合子の「密です」が妙に流行ったみたいですが最近の私は鬱でそれどころじゃない。


もともとそういう傾向はあったけど最近は妙に激しくなっている。


鬱屈した身体、鬱屈した精神、鬱屈した人間関係、これらの三つの鬱が合わさることによって、ソーシャル・ディスガスティング(社会的にうんざり)が達成されるんですね。

そんなわけでとりあえずYouTubeで見つけた密ですビートでも貼っときます。

祝200万回再生【密ですビート】 小池百合子知事「密EDM」流行れソーシャルディスタンス!!




あとコロナ対策の10万円は辞退するよりももらって使ったほうが世の中のためになると思うので皆さん有効活用してくださいね。住所がない人とかDVで配偶者と別居してる人とかも一定の条件を満たせばもらえるみたいです。

メーデー

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今日(5月1日)はメーデーでしたね。

 

メーデーは労働者の祭日だと言われています。 元々は1886年アメリカで、労働者が劣悪な労働環境の改善を訴え8時間労働を要求したことに由来していると言われています。

 

欧米の労働環境は日本に比べると労働者にとっては良好でうらやましいとか聞くことがありますが、当時はアメリカでも低賃金で1日12時間労働させられるなど日本とあまり変わらないものだったようです。

 

kotobank.jp

 

メーデー 労働者の祭典。労働者が団結して権利を要求する日であり、世界的に毎年5月1日がメーデーとされている。 メーデーのきっかけとなったのは、1886年5月1日、アメリカの合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟)が8時間労働制を要求して行ったストライキ。当時の労働者は、低賃金で1日12時間以上働かされるなど、過酷な生活を強いられており、これを改善するために労働者自らが立ち上がった。3年後にパリで開かれた第2インターナショナル創立大会では、8時間労働制実現のデモを行うことが決議され、さらに5月1日を労働運動の日に設定した。これ以降、メーデーは国際社会に広がることとなった。…

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

 

 

日本では、労働者の権利を訴えたり、労働組合に参加したり、労働争議を起こしたりすると、何か変なことをしているとか、怖いと思われるとか、あるいはバカにされる傾向があるように思えますが、そういう風潮の結果が、ブラック企業の蔓延する社会なんじゃないの?と思ったりします。

 

あとは、労働者の権利を訴えることが「共産主義社会主義」のイメージにつながり、そこから「ソ連、中国、北朝鮮」のようなネガティブなイメージにつながる(あるいは、意図的につなげられる)こともしばしばあるように思えますが、別に共産主義じゃなくても労働者の権利は守られなくてはならないでしょう。

企業の経営者は立場上、自然と労働者の要求とは相反する要求を持つことになるわけですから(経営者としては、労働者が低賃金で長時間働いてくれたほうが自分の利益になるわけですし)、労働者のほうでも自分の権利を守るようにしないと、どんどんそれが侵害されていく、ということになりかねません。

 

「労働者の権利を訴えるのは悪いこと」という風潮は、ブラック企業の経営者にとっては望ましいことでしょうが、労働者にとっては害にしかならないと思います。

 

しかしまた、1886年には欧米の労働環境も劣悪だったようですが、そこから改善して今に至っているということは、日本の労働環境だって、これから改善していくことはあり得ると思います。

しかしそれには、日本人が自分の権利を主張していくようにならないと、労働環境の改善も難しいでしょう。