empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

女性天皇、女系天皇について

皇位継承を確実にするために、女性天皇女系天皇を認めるべきだという意見があります。
この点については、最後は皇室で決めることだと思いますが、私の考えとしては、女性天皇は認められても、女系天皇は無いだろうと思います。

まず言っておくと、「女性」ということと「女系」ということとは別の事柄です。女性というのは個人の問題ですが、女系というのは系統の問題だからです。

女性天皇というのは、単に天皇個人が女性ということです。
一方で、男系、女系というのは系譜のたどり方のことです。つまり「今いる個人」から、その父親、父親の父親、父親の父親の父親…とさかのぼっていって、特定の祖先にいきつく場合(逆に言えば、祖先からその息子の息子の息子…とたどって今に至る場合)は、これを男系、または父系と言います。
これに対して、今いる個人から、その母親の母親の母親…とたどって祖先にいたる場合(逆に言えば、祖先からその娘の娘の娘…とたどって今に至る場合)は、これを女系、または母系と言います。

これは系統のたどり方の問題であって、祖先や今いる個人の性別は問題ではありません。現に、天皇家の皇祖神である天照大神は女神とされていますが、天皇家は今に至るまで男系で続いてきたとされています。

自分と祖先とのつながりを確認するということは世界各地で行われてきたことですが、その場合どのような系譜で祖先とつながっていると見なすか、ということが問題になります。他の地域はどうか知りませんが、東アジアでは父系でたどるのが一般的なようです。天皇家も例外ではなく、やはり父系で祖先とつながっているものとされます。歴史上本当にその通りかはともかく、理念としてはそうなっています。

そういうわけですから、法律上はともかく、伝統としては女系天皇が認められることはまずないだろうと思います。なぜなら、それは過去とのつながりを断ち切ることだと見なされかねないことで、伝統の否定、ひいては天皇の地位の正当性を否定することだと見なされかねないからです。
女性天皇なら歴史上多くの前例がありますから一向にかまわないと思いますが、女系天皇というのは別です。たとえ個人的には女系でもいいと思ったとしても、恐らく強硬に反対する人々が出てくるでしょう。ですから私としては、女性天皇は認められても、女系天皇は認められないだろうと思います。

こういう制度は男尊女卑だと思われるかもしれませんが、これは伝統の問題ですから、現在の人がどう思うかということとはまた別の問題です。もし仮に天皇家が女系で続いて今に至っていたとしたら、逆に男系のほうが認められないということになるでしょう。

この問題は、キリスト教における女性聖職者の問題と似ているかもしれません。
歴史上、一部の例外を除いて、聖職者は基本的に男性に限られてきました。しかし第二次大戦の後くらいから、一部の(主にプロテスタントの)教派では女性聖職者を認める教会が現れ始め、これを認める人々と、認めない保守的な人々との間で分裂が起こってきたといいます。
私としては、もし私なら、やはり女性聖職者は認められないだろうと思います。それは性差別だと思われるかもしれませんが、私としては、公共の福祉に反しない限りは、それぞれの団体は独自の伝統を守る権利がある、と思います。

もし仮に、教会が国家公共の機関で、聖職者が公務員のような立場で政治上の実権を持っているとしたら、聖職者が男性に限られるのは不当な差別だと言わざるを得ないでしょう。
しかし、政教分離原則のもとでは、教会は民間の私的な団体であって、聖職者は政治上の実権を持っていませんから、そのゆえに、教会はその役員たる聖職者を独自の伝統にもとづいて選ぶことができる、と私は思います。もしこれが公務員や民間の企業の役員だったら、そういうわけにはいかないでしょう。

また別の例で言えば、孔子の家系は今も続いており、その末裔は孔家の祭祀を継いで今にいたっているといいます。
で、この家系もやはり男系だったはずですが、もし政府がこれに対して、継承が男系に限られているのは不当だから女系も認めるように、と要求するとしたら、それは政府が家庭の事情に不当な介入をしていることになるでしょう。
跡を継ぎたくない人が無理やり継がされているとかなら話は別ですが、自主的に継承されている限りは、それぞれの家庭はそれぞれのやり方で伝統を継ぐことができるであろうと思います。

また別の例で言えば、仏教の禅宗では、師匠が弟子の修行の進み具合を見て、一人前と認めることによって跡を継がせ、こうして代々法灯が継がれてきたといいます。
もし政府がそれに対して、師匠だけがそれを認めるのは不当なことだから、地元の人々の許可も得るように、と要求するとしたら、それは不当な介入をしていることになるでしょう。禅宗の僧侶が公務員なら話は別ですが、政教分離原則のもとでは、僧侶は一介の私人でしかないからです。

天皇家の場合は、天皇は公的な地位ですから一介の私人とは言えませんが、天皇は政治的な実権を持たない一種の名誉職なので、天皇がどのような基準で選ばれるかは天皇家の伝統による、ということは妥当なことだろうと、今のところ私は思っています。