また読書感想文を書こうと思います。これもちょっと前に読んだ漫画なので記憶が不確かなところがありますが…
今回は「ペルセポリス」です。
- 作者: マルジャン・サトラピ,園田恵子
- 出版社/メーカー: バジリコ
- 発売日: 2005/06/13
- メディア: 単行本
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この作品はイラン出身でフランス在住の漫画家マルジャン・サトラピ氏が自分の半生を描いた自伝的な作品です。日本での発売は2005年。
私は、作者(以下、マルジ)のイランでの少女時代の話が印象的でした。
色々環境は違いますが、子供時代の話は何か自分が子供の頃を思い出させるようなところが多くて親近感が持てます。何というか、ちびまる子ちゃんを連想させるものがありました。
とはいえその頃のイランは政治的には不安定な時期です。マルジの幼少期はイランはまだ帝政(パフラヴィー朝)で、反体制派が弾圧され秘密警察に惨殺されてしまうような時代です。
その後イスラム革命が起きて帝政は倒れますが、これで世の中が良くなるかと思いきや、新たな体制は宗教的原理主義の体制であり、ベールをかぶるように強要されたり、酒を飲むことが禁じられて酒を隠さなければならなくなったり、西洋の文化が弾圧されたりして自由が失われていきます。この体制下でもやはり反体制派の人が暗殺されてますしね…
マルジの父親(親戚だったかも?)がうなだれて、「(世の中は)すぐよくなるさ…」と言っていたシーンが印象的でした。
それにしても、マイケル・ジャクソンのバッチを見とがめて、怒って補導しようとしてたおばさんが、厳しい顔しながらも結局見逃してくれたらしいのはちょっと慈悲を感じましたね…
その後、海外に留学して(記憶ではフランスに行ったのかと思ってましたが、先程調べてみたらオーストリアのフランス語学科だったらしい)、またイランに帰ってきてから、またイランを離れてフランスに行くことになります。この辺にはわりとサラッと描いてありますが、本人には色々と確執があっただろうな…と思わせるところがありましたね。でかいネズミ怖い…
個人的に印象的だったのは、マルジ(と家族)の国家観とか民族性とかの認識でした。
「国」「政治体制」「民族」「宗教」のような、ともすれば日本では一体のものとして認識されがち(と思われる)な諸要素が、実際にはあくまでも別々の要素なのであるということを再認識させられます。
マルジはいわゆる「リベラル」な考え方をしていて、イランの政治体制にも宗教にも批判的ですし、若い頃は隠れてアメリカの音楽を聴いていたりもしますが、しかし自らがイラン人であることに誇りと愛着を持っており、留学先で差別されたときには毅然と対応しています。
「お前ら黙れ!私はイラン人だし、それが誇りだ!!」
うーんかっこいい…
私はこれを読んだ当時、我が身を顧みた記憶があります。私にはこれほど確かな民族意識があるだろうか?多分ないだろうな…
いや、そもそも私は日本人ではあるが、その「日本人である」とはどういうことか…?
伝統的に、日本の右派は天皇制を支持する傾向があり、それによって自らと日本国を規定するような傾向もあります。
しかし、「天皇を戴く国」というのはあくまでも一つの「政治体制」であって、自らの民族的なルーツではないわけです。現代では「日本国籍」を持っていることが「日本人」であることの法的な根拠ですが、それも言ってみれば一つの「体制」による保証であって、民族的なルーツとは別です。
では「民族的に」日本人であるとはどういうことか?神道や仏教の徒であればそうなのでしょうか?しかしそれでは、キリスト教徒やイスラム教徒の日本人は日本人ではないのでしょうか?そんなことはありませんが、では日本人を「日本人」としているのは何でしょうか…?
日本語を話すことでしょうか?しかし、海外の日系人でもし日本語を話せない人がいたとしても、その人が民族的に日系人であることには変わりないでしょう。
あるいは「血統」として日本人であるということでしょうか?しかし歴史をさかのぼれば、日本人にも複数のルーツがあって血統などはまちまちなものですし、では日本人であるとはどういうことか…そんな、民族性とアイデンティティーの関連性を考えさせる作品でもありました。
それと印象的だったのは家族の絆の強さでしたね…。政治体制が不安定だからこそ、家族の結び付きが強いのでしょうか。その辺は中国の事情とも似ている気がしました。