empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

民主主義って何だ

もう可決しましたが、安保法案に反対するデモ隊の人達が「民主主義って何だ!」と言っていたのを見たことがあります。
それで、私見ですが、私も民主主義の存在意義について書いてみたいと思います。

私は、民主主義は目的ではなく手段であって、便宜的なものだと思っています。
というのは、もし誰か、どんな場面でも常に最善の判断を下すことができて、決して誤ることのない人がいるとしたら、その人が唯一の君主として、万事を取り決めてもかまわないだろうからです。しかし、実際にはそんな人はいないし、いたとしても、その後を継ぐ人が同じくらい有能だとは限らないので、それで皆で政治的なことを取り決めるのだと思います。
それはつまり、誰かが一人で判断するよりも、皆で協力して判断するほうが、より良い判断を下すことができて、大きな過ちも犯さないですむだろうと思われているからです。(そこにはまた、いつも他人に決めてもらうばかりでは、こうしたことに人々が無能力になってしまうだろうからという点もあるでしょう)

しかし、たとえ皆で決めても、人々の大部分が誤ったり偏ったりしていれば、やはり過ちを犯すことがあり得るわけで、ナチスが民主制の中から生まれてきたことや、いくつかの共産主義革命なども、このことを証していると思います。

子供に選挙権がないのもこのためであって、つまり、子供には正しい判断を下すことが難しいだろうと見なされているからです。そういう点から言えば、選挙年齢が18歳に引き下げられるというのは、私にはあまりいいこととは思えません。そうすれば確かにより民主的にはなるでしょうが、民主的であることがより良いとは限らないからです。

また、民主主義には、それがより公共の福祉のためになると見なされる、という点があると思います。
というのは、君主が一人だけで物事を決めれば、彼の個人的な利害や好き嫌いで、偏った判断を下してしまうだろうと思われるからです。しかし、国が公共の福祉のためにあるのだとすれば、一部の人の福祉のためだけでなく、公共の福祉のために、皆で取り決めるべきだと見なされるわけです。

そのため、民主制では、個人が尊重される傾向があるようですが、これも必ずしもそうなるとは限りません。
というのは、君主制の下で個人が尊重されるということもあり得るし、民主制であっても、民衆の暴力によって命を取られることがあるからで、これもまた、ナチスやいくつかの共産主義革命が証していると思います。殊に、マイノリティの人々ではそうであって、声をあげられなかったり、それが難しかったりする人々は、声が通りやすい多数派に対して、立場が弱いわけです。

ところで、人々は協力して皆で判断すれば、一人でそうするよりも、より良い判断を下せると見なされるわけですが、そうやって決められたことの正しさは何によっているのかと言えば、それは皆で決めたから正しいのではなく、それ自体が正しいから正しいわけです。
それは、たとえ皆で、今日から1+1=2ではなく3だということにしようと決めても、それでその通りになるわけではないのと同じことです。つまり、皆で決めたことが正しかったというのは、君主が一人で考えて決めたことが、結果的に正しかったという場合と同じわけで、ただ、君主にはそれが難しいと思われるから、君主の判断には任せないわけです。

学問の自由や言論の自由も、その意義の一部はここにあるのだろうと思います。つまり、何が正しいのかは人々に必ずしも明らかではなく、前には役に立ったことが後では役に立たなくなったり、またその逆もあり、人々には人気のない意見であっても、実はそれが正しいのかも知れないからです。
こうした意見を安易に排除したり、封殺したりするのではなく、それを活かして、協力してより良い社会になっていくのであれば、それこそ民主主義の良さだろうと思います。

しかし、単に自分が好き勝手にやるために、一人一人が小さな独裁者のようになって、他者を排除しようとするなら、人の言うように、民主制の中から独裁制が生まれてきて、結局は自由も無くなってしまう、ということになるかもしれません。