empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

平和主義について

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日本国憲法の三大理念は、「基本的人権の尊重、国民主権、平和主義」とされていますが、このうち、特に議論を呼んできたのは「平和主義」かと思われます。

ところで、日本では、「平和主義」というと、憲法9条(あるいはその一解釈)に代表されるような、「一切の武力行使を否定する思想」、として考えられてきた傾向があるように思えます。

しかし、私は、平和主義とは必ずしもそのようなものに限るとは思っていません。なぜなら、たとえ現に戦争している場合であっても、それは最終的には平和を目指して行っている、ということもあり得るからです。

例えば、現に日本は自衛隊を持っていますから、仮に他国が日本に攻め込んできた場合、自衛隊との間で戦闘になるでしょうし、それは事実上、戦争と言っていいでしょう。
しかし、そのような事態は、現在の憲法下でも想定されている事態なのであって、実際に戦闘が起こったとしても、その瞬間から、平和主義の憲法を保っている日本国が、平和主義の国ではなくなってしまうわけではないでしょう。


私は、「平和主義」とは、「平和を目的として、可能な限りそれを追求すること」だと思っています。

「いかなる場合でも戦わない、武力行使しない」というのは、むしろ「非戦主義」、「非戦論」と呼ばれるべきものであって、もちろん、それは平和主義の一部ではありますが、全部ではないと思います。

日本国憲法は、カントの著作「永遠平和のために」を参考にして作られたと聞いたことがあります。カントはその著作の中で、「軍隊」の廃止を提案しているわけですが、「市民が自衛のために武器を取ること」は否定していません。日本の自衛隊も、このような解釈の延長線上にあるものなのでしょう。

日本国憲法では、前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、…全力をあげてこの理想と目的を達成する…」とあります。
また、9条の冒頭でも、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」とあります。

極端な話、これらの部分が残ってさえいれば、他の部分が変えられても、さらに言えば、たとえ9条が全削除されても、前文さえ残っていれば、日本国憲法はまだ平和主義の憲法だと言えるでしょう。
もちろん、実際には「平和」や「自衛」の名目で戦争が推し進められてきたからこそ、9条にはもっと具体的な縛りがあるのであって、これはそう安易に変えていいものではないでしょう。
しかしともかく、「平和主義」とは、必ずしも「絶対非戦主義」のような極端な主張ではない、とは言えるでしょう。

私がわざわざこんな事を言うのは、今まで、ともすれば「平和主義」ということが前述のように極端に解釈されてきたために、そのような平和主義は「非現実的」だとみなされて、今度は逆の極端に走ることになりはしないか、と思うから、というのが理由の一つです。

しかし、実際には、平和主義というのは現実的で理にかなった考えだと私は思います。
というのは、確かに人は戦利品や領土を得るためや宗教的信条などのために戦う、ということもありますが、やはり基本的には我が身を守るために戦うのであって、我が身を守れてこそ、他のことも追求できるであろうからです。
そして、我が身を守るためには、そもそも最初から争いにならないほうが良いわけですから、平和を追求することは、人々の本来の目的にもかなったことだと言えるでしょう。
戦力、と言って悪ければ自衛力、というのは、それでも争いが起こってしまった場合に、せめてできる限り自分たちの生命や財産や自由などを守るために、また、そもそも争いが起こらないように抑止力とするために、前もって備えておくものだと思います。

よほど極端なイデオロギーを持っているのでない限り、人は、戦いのための戦い、などを求めはしないでしょう。人々はやはり、自己を守るために戦うわけです。そして自己を守るためには、そもそも最初から争いが起こらないようにする、平和を追求する、というのが本来の順序であって、理にかない、実益にもなることだろうと思います。

それですから、改憲を推進している、あるいは将来的な改憲を否定してはいない政党であっても、大方は、少なくとも建前では、「基本的人権の尊重、国民主権、平和主義」の三大理念は守ると言っていたはずですし、またそれは理にかなったことでもあるでしょう。

今回はだいぶ観念的な内容になった気がしますが、「主義」というのは観念的なものですから、それで良しとしましょう。その観念を現実にどのように応用するかは、その時々の事態によって違うでしょうが。