多分モンテスキューだったと思いますが、「ある国で、軍が国の『外』に向かっているのは正しい状態で、軍が国の『内』に向かっているのは不正な状態である」とか書いていた覚えがあります。
これを読んだ当時は、軍が外に向かっているというのは侵略行為を連想させるのでいい気がしなかったような覚えがありますが、ともかくその言わんとするところは分かります。つまり、軍が外敵による攻撃から人民を守るために使われているのは正しい状態であるけれど、軍が国内の人民を弾圧するために使われているならそれは不正な状態であるということです。
内戦などもあるので一概には言えませんが、本来の目的から言えば軍事組織というのは外の脅威から自国民を守るためのものであって、それがいわゆる「公共の福祉」(あるいは、共通善)に叶うやり方だと思います。逆に、一部の人々の利益のために国民の別の一部を攻撃することに使われているなら、本来の目的に反している、つまり悪しきやり方であると言えましょう。
ですから、例えばミャンマーの軍政のように、軍が自国の人民を攻撃しているのは悪しき状態であると存じます。
もっと言えば、自国民を守るということは単にその生物としての生命を守るだけではなく、その自由や独立のような価値も守るべきものだと思います。
北朝鮮の政府と軍は他国の干渉をはね付けて自国の体制を維持しているわけですから、それはある意味「強い指導者」「強い政府」だと言えるでしょうが、北朝鮮の人民にとって、自国の政府がそのような「強い政府」であることが自分たちの幸福につながっているのかと言えばそれは私には疑問です。(もっとも、彼等自身はそれとは別のことを教えられているでしょうが)
それですから、憲法で規定されているような「生存権」が、単に生命を維持する権利というだけでなく、「人間たるに値する生存」というような、より社会的な意味合いを持っているのは意味のないことではないと思います。そうでなければ、奴隷制があった時代の奴隷だって、生きてさえいれば権利が守られているのだということになるだろうからです。(防衛省のホームページでも、憲法9条のもとで自衛権が認められる理由の一つとして生存権が挙げられていますし、自分としてもそれは正当なことだと思います)*1
もちろん「自由を守る」とは言っても、それは非常事態であっても自由に出歩いていいとか避難指示に従わなくてもいいとかいうものではなくて、終局的には自由を守るために行われるものだということですが。
これは軍事だけでなくて非常事態での規定にも当てはまると思います。
私は自民党案の緊急事態条項には今のところ反対ですが、非常事態に対処するために一時的に一部組織に権限を集中させたり、国民の権利の一部を制限するということは必要だと思いますし、今でもある程度はそういう法律があります。
しかしもちろん、それはその非常事態を解決して国民を守るという目的のために行われることなのであって、その行為の正当性、合目的性ということが問われるわけです。
インターネット上のサービスでの利用規約やプライバシーポリシー等でも、個人情報を収集する範囲やその目的が明文化されていて、その目的外での利用はしないと規定されていたりしますが、政府の行為にも、それが国民の利益のために行われるという合目的性がなければならないものだと存じます。(国民保護法❨武力攻撃事態等に対処するための法律❩でもこの「国民を守るため」という理念がうたわれています)
もっとも、「自衛のため」や「国民を守るため」と言ったような口実の元でそれに反するような行為が行われることはよくあるので(香港の国安法やかつての日本の治安維持法も「国の安全を守る」という名義ですし)、単に名義がそうであれば良いというのではありませんが、名義を立てるというのは実際にそれを守るための第一歩のようなものなので、そこはやはりないがしろにできない所だと思います。
あとこれも言っておくべきことでしょうが、当然と言えば当然ですが、現代日本に自衛権があるということは、それが即ち過去の日本の戦争が正しかったとか過去の日本の政策が正しかったとかいうことを意味しません。それはそれ、これはこれです。
過去のドイツ政府や軍が侵略やホロコーストを行っていたことは歴史修正主義者でなければ誰しも認めるところでしょうが、だからといって現代ドイツに自衛権がないと言う人もまずいないでしょう。それとこれとは別問題だからです。
もっとも、ドイツは過去の自国の政策を悪しき前例として切り捨てて、その時のドイツとは違うと自ら規定しているからこそ、改めて自衛権を公に認めることが出来ているとも考えられますが。