財務省のセクハラ問題がスキャンダルとして話題になりましたが、今でもセクハラを大した問題と思わない、場合によっては正当化しようとする傾向も一部の人々にはあるようです。
セクハラがなぜ悪いのかといえば、それは「相手が嫌がることをするのは悪いことだから」というのが基本的な要素だと思います。人を傷つけるようなことをしてはならない、人の嫌がることをしてはならない、というのは人間関係の基本であり、基礎的な倫理だというのは、広く同意を得られることだと思います。むしろ人は他人を尊重し、他人の意思を尊重するべきだと見なされます。
(一応言っておきますが、もちろんこれは近代になってから言われ出した道徳ではありません。孔子も「己の欲せざるところは人に施すなかれ」と言っています。仏教やキリスト教にも同じような道徳があります)
セクハラやパワハラは力関係や社会通念上の関係で、被害者が抵抗するのが難しい状況で行われているそうですが、こうした行為を正当化するということは、個人が尊重されず、個人がないがしろにされる社会を正当化することにつながり、社会の中の構造的な暴力を正当化することにもつながります。(ちなみに、セクハラにはわいせつな言動だけでなく、「女のくせに」といった性差別も含まれます)
ファシズムの兆候の中に「性差別の横行」が含まれているのも不思議ではないわけです。