empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

財務省セクハラ事件に見る社会問題

先日、財務省官僚が記者に対してセクハラを繰り返していたと報じられ、そのことが報道されたあと被害者に対して名乗り出ることを要求し、名乗り出なければ被害認定できないなどとした対応がスキャンダルになりました。(被害者は立場上名乗り出るのが難しい、また告発する先の弁護士の第三者性が保障されていない、などの問題がある)

その後、被害者がテレ朝の記者で、社内では告発できなかったために他社(新潮)に持ち込んだことが明らかになりましたが、そのあとTwitterを見てみるとさっそく被害者やテレ朝への非難、ハニトラ(ハニートラップ)とか美人局ではないか等の誹謗中傷が行われており、自分は「なるほど、これでは被害告発するのに勇気がいるわけだ」と納得させられる思いがしました。以前、性犯罪の被害にあってそれを告発した伊藤詩織さんも、オンライン上でバッシングを受け、それが家族や友人にまで及んだそうです。↓
https://www.businessinsider.jp/amp/post-164340?__twitter_impression=true



財務省セクハラ事件へのTwitter上の反応の一部↓








女性記者がこうした被害に遭うのは今に始まったことではないようですが↓
https://mainichi.jp/articles/20180419/mog/00m/040/019000c
ここには単に女性記者の問題にとどまらない、社会構造の問題があるように思えました。

Twitterで同じようなことを言っている人がいましたが、セクハラはパワハラとセットになっていて、加害者と被害者の力関係や社会通念上の関係で、被害者が告発できない、あるいは告発が難しい状況を狙ってこうした行為が行われているようです。そのため、声を上げられず泣き寝入りを強いられる例が多いと云います。

さらに言えば、なぜ加害者がこうした行為に及ぶのかと言えば、自分の印象では、加害者自身もまた、社会の中で力関係や社会通念上の関係で目上の者に逆らえず抑圧された状態にあって、そのような社会に適応しているために、自らもまた目下の者に対して抑圧者となっているように思えました。
昔、とある漫画で、学校でいじめられている少年が腹いせに自分より弱い小動物を虐待する話がありましたが、ある意味それと同じような話に思えます。

(米国務省からも日本でのセクハラや差別についての報告があります)↓
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL4P2608L4PUHBI009.html


人々の中には、セクハラについて「そのくらいで問題になるの?」と思う人もいるようです。
こうした反応は鈍感すぎると言ってしまえばそれまでですが、自分自身ならぬ他人の気持ちですから、それはやはり「よく分からない」ということは実際あるでしょう。(被害者の声に触れることなく年を重ねてきた場合には特にそうでしょう)しかし、被害者が「それは嫌だ、やめてくれ」と声を上げることができれば、たとえ自分自身ではそれほど実感がなくとも、他人が傷ついていることは分かるはずですし、そうであれば、他人の嫌がることをしてはならないということは人間関係の基本ですから、そうした行為を慎むようにはなるでしょう。(倫理観があるならば、ですが)そして若い頃からこうしたことを学んでいれば、初めは実感が薄くとも、そのうちより他人に配慮できるようにもなるでしょう。

しかし、抑圧されている者が声を上げることさえできない状況では、それも望めないでしょう。その中で抑圧され、圧殺されてしまうような社会ではなく、対等に意見を言えるような社会が前提として求められていると思います。