empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

自民党と派閥

自民党は戦後ほとんどの期間政権与党でしたが、その内実は55年体制期(1955~1993)とその後では変質したところがあると言われています。

 

自民党内部には複数の派閥がありますが、かつては今より派閥の影響力が大きく、派閥どうしが競争していたので、自民党一強とはいっても一枚岩の政党ではなく、内閣が交代するときは他の派閥に政権が移ることが期待されていたと言われます。なので、派閥どうしで政権交代のようなことをしていたということでしょう。

 

しかし1990年代頃からの政治改革で、派閥の影響力が弱まると共に首相のリーダーシップ、官邸のリーダーシップが強化され、この流れは民主党政権でも変わらず、その後の第二次安倍政権では安倍氏がライバル不在の一強となり集権化したという指摘があります。

安倍政権がたまに「独裁」と呼ばれたのにはそういう背景があるようです。

 

ちなみに安倍政権がナショナリズムに訴える傾向があったのも、派閥を通した社会共同体へのネットワークが薄れた結果、国民横断的な感情に訴える戦略をとったという一面があったので、現代日本ではポピュリズムが発生しやすい土壌になっているとも言われます。これは仮にナショナリズムでなくても別の要素でも起こり得るように思えます。

 

こうした政治改革が行われた当時は、派閥を通した恩顧主義(上位者と下位者の間の便宜供与と見返りの互酬関係)への批判や政策で争う政治への期待、二大政党制への期待があったようですが、結果的には二大政党制は実現せず、自民一強のまま政治的リーダーシップが強化されたので、それが以前に比べると権威主義的な政治状況を作り出したということでしょう。

恩顧主義も派閥中心のものから首相中心のものに変わって生き続けたようですし。

 

仮に自民党以外の政党が政権をとっても、今は過去に比べれば構造的に権威主義が発生しやすくなっているとも言われます。

 

派閥政治にも色々弊害があったと言われますが、党内で権力の集中を抑制するという意味では派閥の役割が見直されてもいいような気はします。共産党の除名騒動にも通じるところでしょう。

 

安倍長期政権が政治学者に残した難解なパズル【境家史郎】 | 公 研

 

第二次安倍政権はなぜ「独裁」と呼ばれたのか――戦後日本の恩顧主義の変容/大澤傑 - SYNODOS