empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

愛国心とは何か

とあるサイトで、愛国心は人に必要か?ということが議論されていました。 賛否両論あったようですが、そもそも愛国心とは何なのでしょうか?

私は、愛国心とは、「共同体に対する愛着」だと思っています。その対象が国であれば愛国心ですし、別のものであれば、愛郷心であったり、愛社心であったり、家族愛であったりすると思います。

一人で生きる隠者というのもいますが、人は、基本的には、共同体の中で生きるものだと思います。動物の中には、生まれた時から自立して行動するものもありますが、人は最初から家族とかそれに類するものの中で生まれてきますし、その中で守られ養われて、後には自らも、家族を守りそのために働くものだとみなされています。

家族がもっと大きくなれば、大家族とか部族とかになり、ひいては国にもなっていくわけで、愛国心とは、家族愛に類するものか、あるいはその延長線上にあるものだと思われます。
一般に、人は自分の家族に対しては少なからぬ思い入れがあるので、人々が愛国について語るとしばしば激しやすい傾向があるのもそのためかと思われます。(中には、家族愛を越えて、宗教的な範疇に入っているものもあるように思われますが。)

ところで、最近はそうでもないかもしれませんが、「日本人は愛国心が希薄だ」と言われてきたように思います。
しかし、私は必ずしもそうだとは思いません。なぜなら、戦後の日本を支えてきた思想や制度が覆されようとしている、あるいはそのように思われる時、ある人々はしばしば感情的に反発するように思われるからです。
それは恐らく、こうした人々にとって、「自分の国」というのはあくまでも戦後の日本であって、それが覆されることは、こうした人々にとって一種の「亡国」であるからだと思います。わけても、それが戦前の日本の思想や制度によって覆されようとしていると思われる時にはそうであって、それは、戦後の日本が多かれ少なかれ戦前への反省の上に成り立っているからでしょう。
また、戦前の方を推す人々にとっては、逆に戦後によって、戦前の、あるいは「本来の」日本が覆されてきたと思われるのであって、これが人々の対立を深めているように思われます。

とはいえ、こうした対立があまりに決定的になるのは、誰の得にもならないと思います。というのは、こうした政治的な姿勢は、共同体そのものではなくて、方向性の違いだと思うからです。

保守的であろうと革新的であろうと、本来はそれが共同体のために、ひいては自分のためによかれと思ってそうしているのであって、一方は保守的なやり方が、一方は革新的なやり方がより良いと思っているけれど、両者とも同じ共同体を前提にしているのだと思います。共同体のためには、両者ともある程度は必要なのでしょう。

で、愛国心は人に必要なのか、ということについては、ある程度は必要だと思います。
とはいえ、こうした感情は、それを必要だと思うかどうかに関わりなく、否応なしに発生するものだと思います。むしろ問題なのは、こうした感情をどういう方向に秩序づけるか、ということだと思います。

ともあれ、政治が感情によって動かされるのはあまりにも危ういことだと思います。それは戦争や災害においても同じことであって、例えば、もし本当に戦争になったら、人は、ただ勢いにまかせてやみくもに突っ込むべきだとは思わないでしょう。むしろ、どうすれば目的を達成できるかを、冷静に合理的に判断して、その通りに行動するでしょう。
また、災害が起こったら、ただ恐ろしいからといってやみくもに逃げ回ったりはしないでしょう。むしろ、今何が起こっているのか、自分はどうするべきなのかを、できるだけ正確に把握しようと努めるでしょう。

政治は個人的な問題ではなく公共のことであって、必然的に多くの人を巻き込むものですから、感情のままに突き進むべきではないと思います。というのは、感情のままに突き進めば、しばしば最後には破滅するように思われるからです。