菅義偉政権のころ、コロナ禍のもとで政府が「まずは自助を基本にしてそれから家族や地域で助け合う共助、それから政府の公助を頼るべきだ」といったことを言って、一部で「政府が国民の自助に頼るべきではない」といった批判を浴びたことがありました。
もっとも、この「自助、共助、公助」にしても、個人の立場からすれば別に間違いではなかろうと思います。
個人の立場からすれば、まず自分でできることは自分でやり、それができなければ共助や公助を頼るというのは、状況にもよりますが基本ではあるでしょう。
この「自助共助公助」自体は災害や社会保障の分野では従来から言われてきたことらしいですし。
当時この発言が批判されたのは、公助を提供すべき政府の立場から言われたことと、コロナ禍など当時の社会状況のためだったろうと思います。
もっとも、政府の立場から言うにしても、大規模な災害などですぐには公助を行えない場合には、まずは自分で身を守る行動をとってくれと言って自助を求めても別に間違いではなかろうと思います。
もちろん、自助に任せきりでは何のための政府なのかということになりますが、公的機関にしてもすぐに何でもできるというわけではないので、そういう場合には自助や共助も必要になってくるでしょう。
この世に自分以外の他者や社会がある限り、全てが自己責任だということはありませんが、また全てが他者責任だということもないわけで、他のこともそうですが中庸が大事だということなんだろうと思います。
まぁ公助の一部と思われる社会保険にしても、これは人々が共同で資金を出し合ってそこから給付を受ける仕組みなので相互扶助的なものであり、自己責任とも矛盾しないと言われたりもするので、自助共助公助の間にもはっきりした線引があるわけではないのかも知れませんが。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
…社会保険は拠出と給付を通じて社会的な相互扶助を行うという社会連帯を理念としている。そうしたことから、社会保険は職場、職業、産業、地域などを基盤に組織されることが多く、それらの社会保険の運営においては保険料拠出者による当事者自治が重視されている。社会保険における保険料負担と当事者による運営は、自己責任を重んじる資本主義の理念とも矛盾しない。…