empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

軍国主義について

現代の日本は大日本帝国時代の反省の上に成り立っている面が大きいと思いますが、帝国期の全てを否定しているというわけでもなく、直接の反省の対象としているのは主に1930年代からの軍部独裁、軍国主義の体制であると思います。

もっとも、その軍部独裁の体制自体が、帝国期の天皇主権の体制を基礎にしていたので、その基礎を含めて見直して出来たのが今の体制だと思います。


軍国主義とは、単に軍があることや軍事力が強いことを言うのではなく、国の政治・経済・文化全般を軍事に従属させ,戦争または戦争準備のための制度・政策を最高位に置く思想・社会体制で、国家では軍人や軍隊が特権的・優越的な地位を占め、対外的には侵略的な姿勢、体内的には強権支配が特徴であり、ファシズム(全体主義)の支柱になるとも言われます。

なので日本においても、軍部による政治支配がその時代を画する要素になっています。もっとも、軍国主義的政策は明治のころからあったとも言われますが、それが特に顕著になり全体主義にまで至ったとされるのは昭和に入ってからです。*1
この点で、当時の日本やドイツ、イタリアだけでなく、軍が支配する各国の軍事政権なども軍国主義に数えられることがあります。

https://kotobank.jp/word/%E8%BB%8D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9-58324

旺文社日本史事典 三訂版の解説
軍国主義
ぐんこくしゅぎ
国の政治・経済・文化全般を軍事に従属させ,戦争または戦争準備のための制度・政策を最高位に置くという思想・体制
日本の場合,明治時代以来,天皇制と不可分に結合して発展。昭和期に入りその傾向は特に著しくなり,ファシズムの確立をみた。第二次世界大戦後,ポツダム宣言に基づく占領政策は,日本軍国主義の除去をめざした。

日本の軍国主義にも複数の要因が考えられますが、制度としては、軍国主義天皇制と結びついて発展してきたと言われます。
つまり、大日本帝国時代にも議会や内閣はありましたが、原則としては万世一系天皇が統治する国としての「天皇主権」であり、それが「国体」でもありました。(主権と統治権は思想によって区別されることもありますが)

そしてその天皇が軍の統帥権(指揮権)を持ち、軍が天皇に直属していたために、軍が議会や内閣によって統制されない独立した地位を持つことになり、このことが軍部独裁につながったと指摘されています。
ちなみに、天皇統治権統帥権を定めた大日本帝国憲法(明治憲法)は、君主権の強いプロイセン憲法を参考にして作られたと言われますが、このプロイセンでも、皇帝が軍の統帥権を持っていたためにこれを利用して軍が政治権力を持つようになったと言われます。

https://kotobank.jp/word/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9-103758

旺文社日本史事典 三訂版の解説
統帥権
とうすいけん
陸海軍の用兵作戦に関する軍令権
大日本帝国憲法には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあり,一般国務から独立した天皇の大権とされ,陸軍は参謀本部,海軍は軍令部が天皇に直属し,軍政(陸・海軍省)からも分離していた。このことは軍部独裁を許す原因となった。

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もっとも、この「天皇主権」にしても常に絶対主義的に解釈されていたわけではなく、明治末期から大正期には、立憲主義的な解釈である天皇機関説が定説だったと言われます。
天皇機関説とは統治権の主体は天皇ではなく「国家」であり、天皇はその中での「最高の機関」であって、天皇の権力も憲法や議会によって制限されるという学説でした。(もっとも、この天皇機関説にしても「国民主権」というわけではないのですが)
昭和天皇自身もこの説を支持していたと言われます。

しかし、満州事変以後に軍部や右翼団体や一部の政党が、この天皇機関説は「国体」への反逆思想であるとして攻撃し、その主唱者は不敬罪で告発されることになりました。
政府もこれを受けて天皇機関説を排除して統治権の主体は天皇にあると明確にし(国体明徴)、これが軍部の政治支配の一つの転機となったと言われます。ですから、立憲主義の否定が日本の全体主義化の一つの要因であったと考えられます。
もっとも、それ以前にも五・一五事件の首相暗殺事件や治安維持法の制定があったのですが。

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E4%BD%93%E6%98%8E%E5%BE%B4%E9%81%8B%E5%8B%95-1317077

精選版 日本国語大辞典の解説
こくたいめいちょう‐うんどう【国体明徴運動】
〘名〙 (「国体明徴」は天皇中心の国体観念をはっきりと証拠立てるの意) 昭和一〇年(一九三五)、憲法学者美濃部達吉の唱える天皇機関説を排撃した軍部、在郷軍人会、右翼団体などを中心とする運動。岡田内閣打倒のため野党政友会もこの機に乗じた。国会は「国体明徴決議案」を可決、政府も美濃部の「憲法撮要」など三著を発禁とし、国体明徴声明を発表。軍部の政治支配の一つの転機とされる。

4-4 天皇機関説問題 | 史料にみる日本の近代

…政府は、4月に美濃部の著書『憲法撮要』などの発売頒布禁止処分・改版修正処分を決定し、岡田啓介首相が天皇機関説を否定する「国体明徴声明」を8月と10月の2度にわたって出すことで事態を沈静化させたが、これにより明治憲法下における立憲主義の統治理念が公然と否定されることとなった。

軍部にしても常に政治を支配していたわけではなく、帝国期にも政党政治が行われていた時期がありましたが、結果的には軍部の台頭を抑えることができず全体主義に陥ったということで、そこに当時の体制の限界があったのだと思います。
もっとも、大正デモクラシーなど帝国期の民主主義の発展が、戦後の民主主義の基礎になったのだとも思いますが。


そんなわけですから、戦後の日本でしばしば軍事を強く忌避すると共に、天皇制に対しても批判的な傾向が見られたのも、また憲法を守るべきことが強く主張されてきたのも、それは理由のないことではないと思います。

とはいえ、軍事組織にしても、制度としての天皇制にしても、それらはそれ自体で全否定するべきというものではなくて、適正に扱われていれば良いものになるし、適正でなく暴走するなら弊害をもたらすものだと思います。


私はもちろん軍部独裁の体制も天皇主権の体制も支持しませんが(天皇制自体は支持していますが)、それとは別に今の民主主義国としての日本を守るための軍事力は必要だと思います。それは、それこそ帝国期や軍国主義体制の下では存在しなかったような自由を守るためでもあると思います。

他国に対して「国家主権」を守るということが言われることがありますが、その国家主権にしても、もしその主権が君主や政党や軍にあって国民には無いのだとしたら、なぜそのような「主権」を守るべきなのかということにもなり得るでしょう。極端な話、その場合他国に占領されたとしても、戦争による物理的な被害を抜きにすれば、単に支配者が変わっただけだとも言えるわけですから。


それに、戦後の日本では天皇が政治的な権限を持たなくなって国民主権が明確にされましたし、軍は解体され、後で自衛隊が出来たものの、自衛隊の活動はかなり制限されて民主的な文民統制に服することになり、人権も基本的なものとして強く保証されることになったわけですから、その点で過去の反省を活かした法体系になっているとは思います。むしろ自衛隊についてはもっと活動範囲を広げてもいいだろうと思います。

また実際の運用にしても、今でも事実上の軍のごとき自衛隊がありますが、しかし自衛隊が政治的な権力を持って国を支配しているということはありません。それはなぜかと言えば、今の自衛隊は活動を制限されながら民主的な文民統制に服しているからで、この点で過去の反省を活かした運用がされていると思います(個々の自衛官の思想はどうか知りませんが、組織としては)。つまり単なる昔話ではなく、今、その教訓を活かした運用がされているということです。

天皇にしても、今は少なくとも政治の世界では合法的な権力を持ってはいません。むしろ今ではポピュリズム政治家のような、国民主権のもとで合法的な権力を握った側が暴走する危険性のほうが高いだろうとさえ思います。

*1:第4章 立憲政治の危機 : 概説 | 史料にみる日本の近代 凋落を続ける政党に対して、発言力を増大させていったのは軍部であった。特に昭和11(1936)年の2.26事件と軍部大臣現役武官制の復活は、軍部の政治的影響力の増大を象徴するできごとであった。後者は、軍部の政治的発言権を保証する手段として利用され、軍部の意向に反する宇垣内閣の成立を阻止するまでにいたった。昭和12(1937)年には日華事変が勃発し、政府が軍部をコントロールできぬまま泥沼化していった。

*2:https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95-91835 ❝ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 大日本帝国憲法 だいにほんていこくけんぽう …まず第1条に天皇主権を定め,ほかに統帥大権,外交大権,非常大権などの広範な天皇の大権を規定した。臣民の権利の規定,君主に対する大臣助言制,司法権の独立など一応近代的立憲制の体裁をとりながら,貴族院衆議院に対立させ,実質的には立法権や予算審議権を大幅に制限するなど,非立憲的側面も少くなかった。特に軍部は,天皇の軍隊として政府や議会が関与できない独立した地位を与えられ,大きな影響力を及ぼすことになった。❞

*3:https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E6%B0%91%E7%B5%B1%E5%88%B6-128684日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 文民統制 ぶんみんとうせい …第二次世界大戦前の日本においては、文民統制の思想はなかった。大日本帝国憲法明治憲法)では、陸・海軍の統帥権(11条)、軍隊の編制(12条)、宣戦・講和(13条)、戒厳(14条)の権限は天皇に属し、これについては、帝国議会も内閣も関与できなかったからである。このことが、軍閥軍国主義の形成を生み、1931年(昭和6)の満州事変から敗戦に至るまでの悲惨な十五年戦争に突入する要因となったことはいうまでもない。…❞