empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。

日本と奴隷制度

まれに、日本には外国と違って奴隷制度がなかったと言われることがありますが、古代日本の「奴婢」や「生口」は奴隷または奴隷的な賤民だったと言われているので、これは正しくないと思います。

ただ、周囲の国々に比べれば、法的には早いうちに廃止されたとは言えます。

 

とはいえ、法的には廃止されても、鎌倉時代室町時代など中世日本では人身売買が行われ現実的には奴隷がいたとも言われています。人身売買は一時的に解禁されることもあり、こうした制度は戦国時代まであったようです。

 

奴婢(ぬひ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 

旺文社日本史事典 三訂版の解説

奴婢

ぬひ

古代における賤民の一種

奴は男子,婢は女子の奴隷を意味した。律令制では公奴婢 (くぬひ) と私奴婢があり,いずれも家族生活を許されず,売買・譲渡の対象となった。口分田は良民の3分の1を班給された。法的には延喜年間(901〜923)に廃止された。

 

「中世の日本にはたくさんの奴隷がいた」約20万円で人買い商人に売られた14歳少女のその後 人身売買は本来「国禁」だが… | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

もちろん、日本にも奴隷がいたということは、だから日本人が野蛮な民族だとかいうことではなくて、人間は似たような状況では似たような行動をとるということだと言うべきでしょう。

 

中世日本で人身売買が行われた理由については、一概には言えませんが、奴隷の側では、飢饉などで経済的に困窮した人々が自分や家族を身売りしたということが、奴隷を買う側では多くの労働力を必要としていたからということが指摘されています。

特に、東日本は西日本に比べて開発が遅れていたので、土地を開発するために労働力の需要が大きく、そのために人身売買された下人は東国に送られるのが定番だったと言われます。

 

こうした理由は今に通じるものがあるように思います。

技能実習制度(の一部)は現代の奴隷制度と呼ばれることがありますが、ここでも実習生の側では貧困から脱出する目的があり、受け入れる側では安価な労働力を必要としていて、実習生がいなければ仕事が回らないという事情が指摘されることがあります。

また実習生でなくても、いわゆる「ブラック」と言われるような過酷な労働環境の職場では似たような事情があるように思えます。つまり、できるだけ安価に労働力を使いたいという需要です。

 

近代の奴隷制度ではアメリカ南部の黒人奴隷制度が有名ですが、ここでも、米南部では大規模農園(特に綿花の生産)が中心的な産業だったので、そのために農園の経営者が安価で安定性のある労働力を必要としていたことと、奴隷商人の利益が一致したという指摘があります。米国の奴隷制度はこうした農園(プランテーション)と不可分に結びついていたのでプランテーション奴隷制度と呼ばれることもあります。南部はこのような産業構造のために近代化が阻害されたとも言われますが。

一方、北部では商工業が中心だったので、奴隷よりも賃金労働者を確保したかったのだとも言われます。

 

中世日本で人身売買が行われていた時代でも、これを悲劇ととらえ、本来ならあるべきでないとみなす意識はあって、それは当時の文芸にも現れているそうですから、これは現代に通じるものだと思います。しかし、そのような心情があるだけでは制度として廃止するところまではいかないとも言えるでしょう。

 

貧困や安価な労働力への需要などはいつの時代にもあるものだと思いますが、それが奴隷制度にまで発展しないために労働者の権利の保護などの制度があるのだろうと思います。しかしこうした制度がないか、あっても機能していないと奴隷状態になりがちなのでしょう。