empirestate’s blog

主に政治…というよりは政治「思想」について書いています。あと読書感想文とか。

「日本は市民革命を経ていないから主権者意識が根付かない」という言説

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たまに「日本は市民革命を経ていない、与えられた民主主義だから主権者意識が根付かない、自由や人権の意識が根付かない」といったことが云われることがあります。

しかし、私はこれは当たらないと思います。

例えば香港では人々が自由を守るために闘っていますが、香港は元々英国の植民地となったことによって大陸とは違う歴史と制度を持つようになったのであって、市民革命によって成立したのではありません。それこそ、日本の一部で言われる「押し付け」の制度と言ってもいいようなものですが、それでも人々はそれを守ろうとしていますし、それについて、その人々は主権者意識が足りないとか権利意識がないとは言われないでしょう。
台湾にしても韓国にしても同じようなことが言えます。

一方、ロシア(旧ソ連)や中国はそれこそ「市民革命」によって国を作ってきた歴史があるのに、権威主義全体主義的で、自由がない社会だと一般に評価されています。

いや、さらに言えば、「市民革命を経た国」であるところの英国や米国やフランスにしても、その革命を起こした当の人々が現在に至るまで生き残っているというわけではなく、今生きているのはその子孫たちなのであって、彼ら自身は「革命を経験していない」わけです。(さらに言えば、革命に反対していた人々の子孫もいるわけですし)

ではなぜ、彼らはいわゆる「主権者意識」を持っているのか(持っているのだと仮定して)と言えば、それはつまるところ、彼らが自由や平等や民主主義といった価値観を「価値あるもの」だと見なし、それを守るために活動し、こうした価値観と、それを守るためのシステムを今に至るまで受け継いできたから、だということになります。

逆に言えば、仮に自分の祖先は革命を起こして自由を勝ち取っていても、今生きている自分がそれを捨ててしまえば、いつでもその自由は失われることになります。
かつてドイツやイタリアは全体主義に陥りましたし、現代のヨーロッパからも、ISIS(イスラム国)に参加する人々がいます。


要するに、他人がどうかではなく、今生きている自分自身が、それを価値あるものとみなすか、それを守ろうとするか、ということが問題なわけです。


そもそもの市民革命にしても、その革命を「最初に」起こした人々は、最初は革命を経てきた歴史を持っていなかったのに、なぜそのようなことができたのかと言えば、それは彼らがそれを価値あるものと見なし、それを勝ち取るために闘ったからです。


そういうわけですから、自分の祖先や自分の国の歴史がどうだろうと、自分で自由や権利を価値あるものだと見なし、それを守ろうとしているなら、それはすでに「自分自身のもの」なのであって、「与えられた」ものではありません。
人が何か学問を学ぶ時にはそれを自ら獲得していくのと同じように、そのようにして自ら選び取ったものはすでに自分のものであるからです。

〈追記〉
では、なぜ日本では「主権者意識が根付かない」と云われるような状態が見られるのかと言えば、それは日本社会が、不自由な「しきたり」「慣習」によって動いているところが大きいからだと思います。

日本は、憲法でそう保証されているように、「法的には」、自由や平等や人権や民主主義といったものが保証されている国です。しかし、実際の社会生活においては、それとは違った「慣習」によって動いているところが大きいと思います。

大抵の人は身に覚えがあるでしょうが、学校や学校の部活では先輩に絶対服従、会社でも上司や先輩といった「目上の者」には絶対服従、逆に自分のほうでも、部下や後輩といった「目下の者」に対しては強権的でなければならない、そうでなければ示しがつかない、といった、「上下関係」を基調にした人間関係、また、皆に画一的な言動を求め、それから外れた者がいると皆で袋叩きにするような、いわゆる「出る杭を打つ」「ムラ社会」といった社会のあり方、こういった「慣習」によって、実際の日本社会は動いている面が大きいと思います。
言ってみれば、成文法と慣習法との間のギャップが大きいということです。

歴史的に言えば、日本は長く君主制の下で存続していた国です。こうした社会のしきたりもまた、君主制の名残だとも言えるでしょうが(あるいは儒教的価値観か)、上に述べた主権者意識と同じように、これは単に「過去にそうだった」というものではなく、「今」現実に行われているからこそ、現実の効力を持っているわけです。

ですから、こうした日本社会の「しきたり」に馴染んでいれば、それだけ自由や民主主義には馴染みにくいということになります。

とはいえ、それでも日本は法的には自由主義の国であり、その価値が公式に合法的に認められ、日本国自体が、自らそのような国であると規定している国ではあります。つまり、憲法でそのように規定され、憲法によって規定される諸法律もまた、この規律によっているからです。
ですから、こうした価値を単なる条文としてではなく、現実の社会において実現していくなら、それだけ私たちは自由や平等や民主主義の価値を享受できるようになり、もはや「主権者意識が根付かない」と云われるような国ではなくなるということになります。